信用機関への情報開示
平成29年1月に1件の闇金からの電話がこの記事の発端となり以降、闇金との密接な関係、恐怖感、自己破産による生活の不安などさまざまなことが1年間で経験しました。
これはまぎれもなく自分の自制心が大きくかけていたために生じた事です。
もう人生も後半に入りこれからはしっかりと自分を見つめて今までしたことを振り返り良いことで記憶に残る生活をおくるようにしたいと思っています。
今回の件で失ったものはいろいろあります。家族、友人、さらに社会的信用などが挙げられます。社会的信用は取り戻すにはかなりの時が必要です。社会的信用とはどのようなものなのか。
私なりに例えばスマホを購入したとき分割払いで申し込みを行い、申し込みの結果で“分割が不可能”と言われたたときが社会的信用がないと判断された時ではないでしょうか
「社会的な信用がないため商品は売れません」と言われているのと同じです。
ではなくした社会的な信用は取り戻すことはできるのでしょうか。
ここに私のクレジット情報があります。これはいろいろな物を購入して分割払いをするとき、ローンを組む時、クレジットカードを作る時に申し込みを取り扱った店が信用状態を知るために個人の信用を調査依頼します。
[割賦販売法・貸金業法指定情報機関] 一般的にはCICと呼ばれている信用機関に情報開示を行い信用が問題ないことを判別します。
自己破産などを行うとネガティブな情報が登録される
自己破産などを行うとネガティブな情報が登録されます。
延滞、代位弁済、貸し倒れ、債務整理、自己破産したことなど全てが記載されてしまいます。
CICのデータには最低5年間は記録として残るためその間は社会的な信用はないものと思われ、借金や分割払いでの買い物は不可能です。今の私にはちょうどいい状態であり、生活保護費で毎月質素に生活できるだけでも幸せなことと認識すべきだと思っています。
法テラスとは
今回の自己破産申請まで法テラスと言う存在を知りませんでした。
法テラスがあったことで自己破産にかかる費用も自己負担が免除されました。ここではその法テラスについて少し説明してします。
「法テラス」とは日本司法支援センターの通称です
今回の私のように闇金がらみの自己破産などの他に、離婚や法的問題が発生したとき”どこの”誰に” 相談していいかわからない時 味方になってくれるのか。
法テラスです経済的な理由で弁護士など法律の専門家に相談ができない、近くに専門家がいない、といったいろいろな問題がある事があると思います。
その際、刑事・民事を問わず、私たちがどこでも法的なトラブルの解決に必要な情報やサービスの提供を受けられるように設立されたのが、法務省所管の日本司法支援センター(通称:法テラス)です。
今回の私のような問題の場合でも解決に役立つ法制度や地方公共団体、弁護士会、司法書士会、消費者団体などの関係機関の相談窓口を法テラス・サポートダイヤルや全国の法テラス地方事務所にて無料できます。
また、経済的に余裕がない私のような生活保護受給者が法的トラブルにあったときに、無料法律相談や必要に応じて弁護士・司法書士の費用などを立替を行ってもらえます。
今回の自己破産でも適用しました。
まもなく30年間続いた平成と言う時代の幕がおろされます。自分のなかで平成の時代を振り返えると母親と妹が亡くなったこと、離婚したこと、独居生活と親や家族を悲しませた時が平成の時代でした。
さらに平成最後の大事件が闇金からの莫大な借金をつくり、それに伴う口座売買による警察の取り調べ、司法の判決、自己破産がまだ記憶に新しい大事件でした。
ここに挙げた出来事に共通している点はすべて借金が絡んでいることです。
母親も妹も私の借金に最期まで苦しみ悩み亡くなり、家族も借金が原因と言っても過言ではない状態で去っていきました…
借金とは何だったのか
私の人生は借金と共に歩んできたと言ってもいいようです。
親、兄妹、家族は私の借金の犠牲者と言えるでしょう。では借金地獄の扉を自分の人生の中でいつ頃から開けだしたのか振り返ってみたいと思います。
私の生い立ちと借金の歩み
私は昭和27年10月に福岡県の小さな町で生まれ、そこでの暮らしで記憶残っているのは家にはテレビなどはなく、父親が8人兄弟の長男で叔父さんや叔母さん達と暮らして、小学校3年の時に父親の仕事の関係で大阪に引っ越して、小学校、中学と地元の学校を卒業。
高校は全寮制の学校に行き大学も東京の名門校へ進学しました。
今振り返れば自分の人生の中で必ずターニングポイントには誰かキーマンがいました。高校に行くときには工業高校への進学を決めていましたが、中学の体育の先生が推薦する奈良県の高校に進学しました。
その後名門大学へ特待生で進学して、4年後に日本でもトップクラスの大手重工業会社に入社することができ、家族も周囲も喜んでくれました。
しかし借金地獄の扉のノブに手かける状態は既にこのころから芽生え始めていました。
それは欲望、自制心というものは誰にでもあり、自分の欲し物があれば自分の買える環境の中であれば買い、できなければ我慢という自制心が働くと思います。私の場合欲望が強く、自制心の我慢という面が壊れていました。
22歳で大手の会社に入社配属が資材部で、そこはさまざまな物を購入する部署で、取引先からいろいろな接触があり22歳の若造が立ち入れないような快楽の場所などにも接待され自分を見失ってその快楽の世界へのめり込むようになりました。
当然接待の他は自腹で通いその費用は今で言うカードローンから借り入れ自分の欲望に満足感を得ていました。
私にとって借金のルーツはこの時代にあったようです。半世紀を振り返り私の借金とは
“欲望に負け、自制心が欠如して自分の快楽を満足させるためのもの”でした。
借金地獄の扉の先に見えたものは
私にとって借金は誰のものでもなくすべて自分の快楽に費やしたものでありました。
そんな自己中心的な考え方にどれだけ周りの親、兄妹、家族が犠牲になった事かわかりません。
母親は病気で左足の膝から下を切断して、身体障碍者の身で、亡くなるまで心配と迷惑をかけ続けてしまいました。
危篤状態が続いた病院のベッドの中で薄れていく意識状態で私の手を握り母親がわずかな掛け金で契約していた生命保険証書を手渡しかすれた声で「借金のたしにしなさい」という声を聴いたのが母親の最期の声でそれは20年以上もたった今でも昨日のように明確に覚えています。
こうして一番苦労をかけた母親を亡くして、唯一の兄妹の妹も母親の後を追うようにそれから5年後に癌でなくなり、また一人、大切なものを失いました。
このように自分の欲望と自制心の欠如からできた借金で母親、兄妹をはじめとして失った物は取り返しのつかないものになっています。
多くの借金が原因で人がうらやむ一流企業を辞め、家族(妻、子供)を手放す、親戚から縁を切られる、友人を失うなど
借金地獄の扉を開けたその先には多くの失った大切な人たちの「しっかりしなさいよ」という怒りの声がありました。
自分の人生で得たものは
今回の闇金からのばくだいな借金をして口座売買で警察のお世話になり、闇金から日々追い込みがあった時に警察で取り調べの際中N署の刑事が闇金に警告的助言してくれたおかげで強烈な追い込みが減少しました。
罰金は30万円一括納付が絶対条件なはずの支払いも検察庁の協力と理解で6回の分割が可能になりました。
さらに役所の無料相談で運命の出会いとなったN司法書士が自己破産に尽力をつくしてくれた結果借金という重い荷物を下ろすことができました。
こうして若い頃から振り返るとやはりいろいろな人生のポイントに支えてくれる人がいてその人たちが私の人生の道しるべとなってくれたように思えます。
自分の人生において得たものより失った物の方が大きいですが、人の情けに感謝してこれからは恩返しできるようなボランティア活動を行って行きたいと思っています。