精神科に連れて行かれた
しかし、相変わらず毎日届くダンボール箱を目にした彼氏から「お前、頭おかしくない?」と軽蔑の目で見られるようになったのです。
そして彼氏は、私の職場の仲の良い同僚にそのことを相談したそうです。その数日後、同僚と先輩が夜勤明けの私を外に連れ出しました。
そして私はそのまま「精神科」のある病院へ連れて行かれたのです。
「私はどこもおかしくない!」と私は必死に抵抗しましたが、同僚も先輩も、彼氏から相談を受けて「前からおかしいと思っていた。仕事中も何か前と言動がちがう。買い物依存症ではないか。何か原因があるのではないか。」と家族がいない私のために病院を予約したとのことでした。
今になればこの心配も行動もありがたいと思うのですが、その当時は「無理やり連行された」と彼氏や同僚、先輩を恨んだものです。
診断はうつ病と買い物依存症
そして私は精神科の先生から診断を受けました。そして緊急入院することになったのです。
診断は「うつ病」そして「買い物依存症」…
この診断と入院が転機となり、私の買い物癖が弱くなっていきました。
しかし、それと同時に「分割払い」のその後の魔の手が忍びよってきていたのです。
入院と苛立ち
精神科の先生に診断されましたが、私は「そんなはずはない!私は病気じゃない!」と医師に食ってかかりました。
しかし、看護師や同僚、先輩の説得のもと、私は渋々入院することになったのです。
話し合った末、入院の保証人には彼氏と彼氏の母親がなってくれました。
私は「うつ病」の他に「買い物依存性の可能性」と診断されていました。教科書やテレビでしか見たことのない病を患うとは夢にも思っていませんでした。
入院中はカウセリングを受けたり、読書などをして過ごしました。
最初の方は「なんで私が入院しないといけないの?」という苛立ちと、好きなように買い物ができない状況に早く退院することばかり考えていました。
傷病手当を受けることになった
そして、その病院では「職場面談」といって、自分の就職先の職場の上司に病院まで来てもらい、主治医やカウセリングのスタッフと話をするというものがありました。
私の勤め先の病院の事務長と看護師長は快く病院まで来てくれ、医師と話しをしてくれました。
どのような内容の話をしたのかは私には伝えられませんでしたが、私は休職をして「傷病手当」を受けることになりました。
「傷病手当」とは、『業務外の病気や怪我などで休業している期間について生活保障を行う制度』のことです。
退職と傷病手当
入院してしばらく経つと、イライラも減り、やっと周りの事が見えるようになって来ました。
「自分のことは自分で。人様に迷惑をかけてはいけない」という信念を忘れてしまっていたな、と我に返ったのです。そして私は無性に色々な人に迷惑をかけているのではないかと心配になってきました。
考えに考えた末、職場を退職することに決めました。入院して2ヶ月ほどたった頃です。
「傷病手当」は、退職しても給付があります。休職して、復職の目処が立たないと思った私の苦肉の策でした。
職場の事務長や看護師長は最初は反対していましたが、私の強い思いに負けたのか「復帰したい時はいつでも相談してね」と退職扱いにしてくれました。
もちろんこのことは主治医と相談した結果です。
無職と返済
再び無職になった私でしたが、「傷病手当」があることで不安はあまりありませんでした。入院費は、昔から入っていた生命保険で支払うことにしていたことも安心の材料となっていたのです。
しかし、現実はそんなに甘くはありませんでした…。
入院して3ヶ月で症状も軽くなり、主治医と相談し退院しました。入院中は同じ症状の方とお話しする機会もあり、とても勉強になりました。
その頃には「買い物をしたい」という欲求もほとんど無くなっていました。
山の請求書を全部捨てた
久しぶりにアパートに帰り、最初に見たものは「請求書の山」でした。
私が入院中は彼氏は実家に帰っており、その手紙は誰からも読まれることなくポストの中にギュウギュウにつまっていたのです。
私は戸惑いながら、言いようのない恐怖と不安に襲われました。
数通の手紙の中身を見てみると、指定の口座から引き落としがされなかったために振込用紙で支払うようにと書いてありました。
私は残りの封筒を開けることができませんでした。
頭の中は「これどうするの?」だけでした。
そして、何を思ったのか私はその封筒たちを全部捨ててしまったのです。
鳴りやまない督促の電話で引きこもりに
それから、アパートに届く手紙類は中身を確認せず、全部捨てていました。
現実逃避だったと思います。
すると、知らない番号から頻繁に電話がかかってくるようになったのです。
恐る恐る電話に出ると「返済についてです。」とクレジットカード会社から確認と督促の電話でした。
私は力なく「必ず返済します」と返答し、電話を切りました。
それから私は「借金取りが家に来たらどうしよう」と怯え続け、食料の買い物以外は外にも出ず、友人からの電話にさえ出ることができなくなって来ました。
友人や彼氏は事情は知らないのですが引きこもっている私を心配してアパートに来てくれることが多くなっていました。
今思えば、とてもありがたくいことなのですが、その時は「借金のことがバレたらどうしよう」としか考えられず、友人や彼氏を追い返していました。
嘘をつくのが上手くなった
入院前よりこの頃の方が、精神的にまいっていたと思います。
この頃は人に迷惑をかけることに抵抗もなく、嘘をつくことが上手くなっていたと思います。
そして、私はさらに借金を背負うことになるのです。
この頃の借金は330万円ぐらいだったと思います。
返済をしなければと思った
私は傷病手当で生活していました。
傷病手当は就業していた頃の全額は普及されません。生活自体には困りませんでしたが、返済するお金には足りません。
しかし、「どうにかしないと」とある日思い立ち、掛かってくる電話に出てきちんと対応し始めたのです。
そこで、支払い期限が近いところから返済を始めました。
合計金額などを計算するような考えも、計画的に返済する思考も停止し、「とりあえず目の前にある個別の返済金額を振り込む」作業を行なっていました。
しかし、お金は足りません。生活費だけは確保していました。
消費者金融で借りたお金で返済することに
そこで私はネットで「借金」について調べていると、「消費者金融」という文字が目に飛び込んで来ました。
私は飛びつきました。その頃にはもちろん新しいクレジットカードは作れない状況だったのですが、「消費者金融」ならと、なりふり構わずすぐに数社の消費者金融に申請しました。そして、1社から「融資可」と審査がおりました。
すぐに10万円借用し、それをクレジットカードの返済にあてました。
消費者金融での返済は借金が増えただけ
傷病手当が給付されるとすぐに消費者金融に数万円返済し、クレジットカードの返済分が足りないとなると、また消費者金融から借りて返済にあてました。
まさに「自転車操業」です。
しかし、それも長く続かずに消費者金融の借用分も返済できなくなりました。借金が増えただけです。
再度引きこもりになった
そして私はまた引きこもりへ。
電話も出なくなり、返済も全くしなくなりました。
以前、初めて「クレジットカードの分割払い」をしようした時は「魔法のカード」と思っていたのですが、今となっては悪魔のカードにしか見えませんでした。
計画的に使用するととても便利なものなのに、私は使いこなせなかったのです。
督促状が赤い封筒に
そして督促の手紙はだんだん「赤い封筒」などに変化していきました。
決死の覚悟で一通の手紙の中をのぞいてみると、そこには「訴訟」の文字が…
私は本当に吐くぐらいの衝撃を受けました。
「どうしたらいいんだろう。誰にもバレたくない。」ともう世間体しか考えていませんでした。
「友達に知られたくない。彼氏に嫌われたくない。」
悩みながら、ネットでまた「借金」について調べていると、今度は「弁護士」という文字が目につきました。
「恥ずかしいし、どれくらいの金額がかかるかわからないし…。
怒られたりしたらどうしよう。」と消極的でしたが、思い切って自宅から少し遠い弁護士事務所に電話しました。