【体験者のプロフィール】
- 性別 : 男性
- 住居 :兵庫県神戸市
- 職業 : 会社員
- 年齢 : 38
- 借金 : 380万円
- 対応方法 : 自力返済と直談判
大学生活と飲食店経営
私は高校生の時から海の家やスナックでアルバイトをしていました。
卒業後もすぐには進学せずに、barに就職しました。いつか自分の店を持つことが夢になっており、その夢に向けて走っていたように思います。
そして大学3年生の時に起業し、barを開店させ経営を開始しました。大学生活とbarの経営の両立は大変でしたが、休みもなく働き、2年が瞬く間に過ぎました。
ギャンブルから経営悪化
経営が軌道に乗ると、店舗の運営をスタッフに任せることが増えました。大学卒業後は時間の余裕もあって、様々なギャンブルに興じるようになりました。昼はパチンコ店、夜は雀荘といった具合に。このあたりから付き合う人たちも変わっていったように思います。
八方美人な性格なので、年上の色々なタイプの人たちに気に入られ、どこにでもホイホイと付いていっていました。
次第に店の売上に手を出すようになり、経営状態は一気に悪化。「店に怖い人たちが出入りしていて雰囲気も悪くなった」という噂も広がり、とても経営を続けられる状態ではありませんでした。
現実逃避で飲み歩く日々
立派なギャンブル依存症、また職業柄もあってかなり酒浸りになっていました。そして店は手放すことになりました。定職にはつかず、毎日ギャンブルと飲み歩くばかり。
当時結婚をしていたのですが、現実逃避から派手な水商売や風俗の女性たちと不倫を繰り返し、いつしか消費者金融のお世話になりました。そんな状態だったにもかかわらず、元々車好きだったため、車のローンも組んでおりました。
家庭は崩壊寸前。ギャンブル依存症と酒借金地獄に。
最初は10万円だった借金も、限度額いっぱいまで借りるようになってしまい、気が付けばCMに出ているような大手は全て借り尽くしていました。無人機から出てくる5万円は、店舗を出ればもう自分のもの。そして一日で散財。
仕事に就けばなんとかなるだろうと考え、気付けば借り入れ総額は300万円を超えていました。
入院で不倫と借金がバレた
それでもギャンブルと酒はやめられませんでした。来る日も来る日もギャンブルと酒の繰り返し。
パチンコの休憩時間にも酒を飲み、麻雀中はいつも酔っぱらっておりました。そんな折、飲み過ぎで体調を崩し入院。その間に借金も不倫もばれてしまい、家庭は崩壊寸前。
その間に遅延損害金も発生して、借金は350万にまでなっていました。
退院後は人生をリセットするつもりで就職活動をし、今の会社へ就職しました。しかし返済が苦しく、返せど返せど元本は減りません。利息だけで月に7万円ほど支払っていました。
借金の和解という制度を知った
このころから、自己破産や任意整理を考え出しました。そこで本やインターネットで情報を集め始めました。お金もないのに身の丈を越えた車にローンを組んでいたため、そういったことを指摘されるのではないかと気になるあまり、知人には相談できませんでした。若さゆえの見栄といらぬプライドです。
そうして調べていくうちに和解の制度があることを知りました。
そこで、これは債権者である金融機関に債務者である私が直接に交渉することができるのではと考えました。思い立ったらすぐに行動してしまう性分ですが、就職して会社の第一線で活躍できるようになっていたため一旦保留し、利息のみ支払う生活が続きます。
しかしやはりこの状態では生活は苦しく、前向きに生きていくことは難しい。そんな折、会社でトップの営業成績をとれば臨時のインセンティブで100万円を支給すると発表がありました。これを機に生活を一転させたい想いで一杯でした。
借金を自力で交渉し「和解」へ
トップの営業成績も不可能ではないと自信があったので、同時に債権者への直談判も行おうと決めました。
遅延損害金が膨らんだA社(75万円)
まずは限度額の50万まで借り、遅延損害金も膨らんで75万円になっていたA社へ架電。和解したい旨を伝えると、後日電話すると告げられます。電話をもらい、担当者に返済が厳しく、任意整理や自己破産を考えているが相談に乗ってくれないかと提案しました。
そうすると向こうから、遅延損害金はゼロにするから、元金の50万を今後は利息なしで月々に一定の額を支払えないかともちかけてこられました。
和解は過払い金請求できない
その時に、これは和解であり、和解成立後は条件の変更を法改正後でも受け入れられないことを告げられます。今思えば、和解後に過払い金請求には応じないと言うことだったんだと考えられます。ここは月に五千円支払うことで、和解が成立しました。
応じないと言ったB社とC社
次にB社へ架電。同様の申し出をしたが、弁護士や司法書士などが間に入っていないので和解には応じられないと告げられますが、実名でA社は直接交渉で応じてくれたことを言うと、全く同じ条件で和解を受け入れてもらえました。
要領を摑めたのでC社へも電話し、先にA社とB社が受け入れてくれた和解の条件を話しました。一旦持ち帰り上司と相談した上でかけ直すと言われましたが、電話はなく、数日後に和解の書類だけが届きました。条件は今後の利息カットと月に5千円の支払いとなりました。
和解で完済間近。しかし過払い金請求できない後悔
そして無事に自身の営業成績もトップとなり、インセンティブで車のローンとD社を完済。あれだけ苦しんだ利息はゼロになりました。
その後は順調に返済し、残す所A社の15万円ほどとなりました。和解後数年間はクレジットカードも作れませんでしたが、人生は色を取り戻せました。
私の借金は過払い請求ができるものだったと今では分かっております。個人で交渉し和解をおこなったため、過払い金の恩恵を受けることはできませんでした。
いまでは司法書士に相談すべきだったと後悔しております。