【体験者のプロフィール】
- 性別 :女性
- 職業 :会社員→アルバイト→主婦
- 年齢 :30代
- 借金 :50万
- 対応方法 :家族が代理返済
成功を夢見て北海道から東京へ
私は20代の時に、東京に引っ越ししてきました。それまでは、畑だらけの道を1時間近く歩いて通学するような、北海道の田舎町で育ちました。
高校を卒業した私は、大手保険会社の地元の支店に就職し、一般事務のお仕事をしていました。
それまでは、そのままその会社で定年まで働くか、寿退社するなどして、地元で一生を終えると思っていました。そのころは、自動車のローン支払いや車検代などがありそれなりの支出はあったものの、実家通勤だったため、金銭的にはかなり余裕がありました。
勿論、クレジットカードも持っていました。
独身の友達と毎週末の度に飲みに行っていましたし、よく外食にも行きました。時折、北海道の中で随一の都会である札幌へ旅行に行き、ショッピングを楽しんだりもしていました。
その時には、まさか自分が借金をすることになるとは、想像もしていませんでした。思えば、実家通勤をしていたこの時にこそ、節約と貯金を徹底していれば、後程借金に苦しむことはなかったはずです。
女性が活躍する未来に憧れた
私の転機は、19歳の頃に訪れました。全国転勤をしている男性と社内恋愛関係になったのです。結果的にこの男性とは別れてしまうのですが、当時はお互いに結婚を考えていました。
大都会で働いていたこともある彼の体験談を、私は興味深く聞きました。私の住んでいた田舎は、「女性は大学へ行かずに、高校を出たら地元に就職して、すぐに寿退社する」「会社に残っているのは恥ずかしい」という、古い考えがあたりまえに浸透している地域でした。
しかし、彼の話を聞いていると、高学歴の女性が社会で活躍したり、課長や部長といった役職についていたり、自分で稼いだお金で車どころか家も買ってしまう女性もいるということを知り、古い考えに縛られて生きている自分がとても恥ずかしくなりました。
「もっと広い世界を知りたい」「田舎を飛び出して都会で働きたい」という想いが、日に日に強くなっていきました。
転機は東京での転職
そしてある日。彼が東京の支店に異動になることが決定し、私も決意しました。「私も、親元を離れて都会へ出よう。」「転職をしよう。」と。
そして私は転職サイトに登録をし、飛行機代やホテル代といった出費もかさみましたが一生懸命に就職活動をしました。カード払いやキャッシングを利用する頻度が急激に多くなったのは、この頃からです。
東京で契約社員に
そして努力の末、私は東京の会社に契約社員として転職が決まりました。実はこの時、彼と結婚の話も出ていたのですが、彼は私に専業主婦になって欲しいと強く要求をしてきました。しかし、その時私はまだ20代前半。どうしても都会で働きたい!という夢を捨てることはできず彼と大喧嘩になり、結局破局してしまいました。
しかし私は、これから始まる大都会での生活を夢想し、目をきらきらさせていました。大変な苦労が待っているとも知らず。
華やかなオフィス~転職生活での借金
私が契約社員で働くことになった会社は、高層ビルにあるオシャレなオフィスでした。
新人の私を出迎えてくれた女性の先輩たちを前にして、私は圧倒されてしまいました。メイクもばっちり、雑誌でしか見たことのない、ブランド物を着こなす華やかな先輩たち……。
それに比べて私は、田舎で買った安物のリクルートスーツを着て、メイクも地味目……。オシャレなオフィス、華やかな先輩たちに囲まれた私は、その時明らかに浮いていました。
希望に満ちて出勤したはずなのに、私の胸にはたちまち、もやもやと暗雲が立ち込めました。もしかして、私って地味で恥ずかしい女……?早く、田舎娘を卒業しないと。
増える出費の支払い。給料だけでは追い付かない
焦った私はその日、会社近くのデパートに駆け込んで、カード払いでブランド物のスーツを上下2着、バッグも1つ購入しました。まだ、引っ越ししたばかりのアパートも整理整頓できておらず、これから収納ボックスや家具家電、食器など、そろえるものが沢山あったにも関わらず、です。
デパートで散財する日々
みすぼらしい自分がとても恥ずかしくて、とにかく外見を着飾りたくて、何とかしたくて仕方ありませんでした。それからというもの、私はたびたびデパートやショッピングモールに足を運んで洋服やバッグ、靴、化粧品を沢山買い込むようになり、その度に身の丈に合わない出費をしてしまうようになりました。
今思えば、先輩たちは実家通いの人たちが多かったですし、金銭的にゆとりもあったのだと思います。
しかし、私は一人暮らし。家賃や水道光熱費はすべて自分で支払っていました。
コンビニ弁当でかさむ食費
しかも、自炊をしている暇などありません。転職したてで、覚える仕事は山ほどあり、自宅に帰っても勉強をしないと業務が回りませんでした。だから、食事はどうしてもお惣菜やコンビニ弁当に頼らざるを得ませんでした。
そして愚痴を言い合える友達もいないですし、ストレスも溜まるので、一人で夜に飲みに出る頻度も多くなっていきました。地元で働いていた時とくらべて若干収入が増えたとはいえ、それでも高給取りとは言えません。
毎月のお給料だけでやりくりをするには、とても無理がある状況が続きました。
リボ払いやキャッシングの請求が
気がつけば、毎月カード払いで10万円以上の請求が来るようになってしまいました。それまでは、利息のかからない「一括払い」で支払いをしていたのですが、それではとてもやりくりできなくなった私は「リボ払い」に変更したのでした。そこで何とか、手持ちのお金が0円になってしまう事態は免れたものの、利息を含めた借金の合計額は跳ね上がってしまいました。
リーマンショックの煽りで仕事をクビに
それでも月々のやりくりに困るようになってしまった私は、時々キャッシングにも手を出すようになってしまいました。それが、大体2008年頃のお話です。
ちょうどその頃、リーマンショックという言葉が紙面をにぎわせはじめました。アメリカの投資銀行が経営破綻してしまい、連鎖的に世界規模の金融危機や不況が発生してしまったのです。
外資系だった私の職場も煽りを受け、なんと契約社員は全員首を切られることになってしまったのです。勿論、私もです。まだ転職して1年も経っていなかったのに……。
しかもその時、私はまだショッピングやキャッシングの支払いに苦しんでいる真っ只中でした。いつか貯金を貯めて一括で返済しよう、といつも思いながらも、ズルズル支払いを続けていました。しかも、元金は少しずつ増えて行っている有様でした。
就職難に阻まれる再就職
退職を言い渡された私は、急いで転職先を探しました。しかし、街は失業者で溢れているにもかかわらず、求人は本当に本当に少ないものでした。あったとしても、お給料が労働時間に見合わない「ブラック企業」だったり、アルバイト、パートといった職ばかり。
今思えば、最低でも30万ほどの貯金があれば「失業保険」を貰いながら、資格の勉強などをして、それなりにしっかりとした待遇の職に就くことができたのかもしれません。まだ20代でしたし、可能性はいくらでもあったと思います。
しかし、一度キャッシングの泥沼に片足を突っ込んでしまった私にはできませんでした。
仕事は決まるも引越しの出費でキャッシング
私は何とか、住んでいる場所からかなり離れた場所に接客業で就職をすることができました。しかし、その仕事は原則的に夜0時まで勤務でした。住んでいたアパートへの終電がそれより早く終わってしまうので、私は併せて引っ越し先も探さざるを得なくなりました。
1か月以上無職だったので、次のお給料が出るまでひと月以上空いてしまうことになります。
しかし新しい就職先に通うため、引っ越し費用を捻出しなければなりません。そこで、私はまた数十万円キャッシングをしました。以前の事務職よりお給料も下がってしまうので、流石にこの頃になると、むやみやたらと洋服や化粧品を買い込むことは止めました。それ以降はしばらくキャッシングもしませんでした。
借金返済するなか、男性とつきあうことに
不器用ながらも、自炊も始めました。しかし、お金は生活費に消えていくばかり。借金の元本を減らすことはなかなかできません。
夢見て田舎から飛び出したはいいものの、都会の慌ただしい毎日で疲れきり、いつしかバリバリ働くキラキラ生活ではなく、素朴な安らぎを求めるようになっていたのです。そのうちに、同じ職場のかなり年上の男性と飲み友達になり、お付き合いをするようになりました。それが、いまの主人です。
借金を隠して結婚することに
その男性と1年ほどお付き合いをして、結婚をしました。共働きになり今までより収入が増えたので、その日食べる物にすら困る、という生活からは晴れて卒業することができました。
そして私は、彼の希望もあり正社員からアルバイトに切り替えることになりました。
しかし恥ずかしながら私はまだ借金のことを正直に言うことができませんでした。その時私は、「借金があることがバレてしまったら、嫌われてしまうかもしれない」と思い込んでおり、主人に隠し事をしてしまったのです。
妊娠して退職
彼に「申し訳ない」と負い目を感じながら、こそこそと毎月、少額ずつ返済していくのはとても胸が痛みました。
そしてそのうちに、私は妊娠しました。妊娠を機に退職して家庭に入ることになりました。
主人一人の収入で、家計をやりくりしながら借金を返済していく、というのはとても大変でしたが、何とかなっていました。子供が無事に生まれてきてくれたら、保育園を探して、私も働こう。借金はそれから本格的に返済をしていこう。と思っていました。
夫が鬱になり退職・思わぬ出費で困窮
その後、元気な女の子の赤ちゃんが生まれました。しかしその直後、最悪の事態が起こってしまうのです。何と、大黒柱の主人が職場でいじめにあい、鬱状態になってしまい退職することになってしまったのです。
しかもその年、義理の父が亡くなるという悲しい出来事が重なりました。そしてお葬式で、大きな出費もありました。主人は何とか再就職できたものの、年収はそれまでよりも100万円以上、下がってしまいました。
生活は、一気に苦しくなりました。
主人はストレスからタバコやお酒の量がグンと増えてしまい、収入は減ったにもかかわらず出費は増えてしまう有様でした。
生活費はキャッシングで補てん
もちろん、借金も返している場合ではありません。生活費は、毎月キャッシングで補てんせざるを得ない状態になってしまいました。私も一生懸命仕事を探しましたが、乳幼児を抱えての就職活動は想像していたよりはるかに厳しいものでした。
私が就職できたらキャッシングはやめる、と思いながら、就職できないまま、ついにキャッシング限度額の50万円に達してしまいました。子供は、来年から幼稚園、という年齢に成長していました。
入園するためには、一時金で10万円が必要でした。しかし、貯金はなく、キャッシングもこれ以上できない状態なので、このままでは子供を幼稚園に入れてあげることはできません。それどころか、もう生活していくこともできない状態になってしまいました。
疎遠の両親に頼ることに
途方に暮れた私は、思い切って親に相談することにしました。私にとって、親に連絡をするのは、「最後の手段」である自己破産より、もっともっとハードルが高いものでした。
実は、転職活動をしている時、両親には「田舎で育ったお前には、都会での生活なんて無理に決まっている」と猛反対されました。「結婚してさっさと家庭に入れ」「それができないなら一生地元の会社で働け」と言い続けられていました。しかし、私は両親が止めるのも聞かず、大喧嘩の末に田舎を飛び出したのです。
結婚し、出産したことは報告してあり、ごくたまに電話で話す位のことはしていましたが、実家を出てからは殆ど両親と関わってはいませんでした。いまさらどんな顔をして連絡したら良いものか……。
思い切って電話をした
しかし、家庭を持っている以上、簡単に自己破産手続きをするわけにいかないと思ったので、私は思い切って実家に電話をしました。
「あら久しぶり。どうしたの」電話口に出たのは母。
私は思い切って、ちょっとお金のことで相談があるの、と単刀直入に切り出しました。するとあろうことか母は、それではお父さんに代わるわね、と、父に電話をバトンタッチしてしまったのです。
あの時の緊張は今でも忘れられません。なぜかというと、実家を出るときに一番反対していたのはほかの誰でもない父であり、私を殴ってまで止めようとしたのです。私は、「ふざけるな!父さんなんて大嫌いだ!」と吐き捨てて実家を飛び出した記憶がありました。
電話口に出た父の対応
また喧嘩になるかな、と思いながら、緊張していたのですが、父の声は予想とは全く違う、明るくのほほんとしたものでした。
「お~う、金に困っているのか?大丈夫か?いくら必要なんだ?」私は拍子抜けしてしまいました。
「実はね……カード会社に借金をしてしまって、それが返せなくて、子供を幼稚園に通わせてあげることもできなさそうなの……。子供がいると、なかなか再就職もできなくて……」しどろもどろ説明する私に、父はもう一度言いました。
「別に細かい説明はいらないから。いくら必要なのか、正直に言ってごらん」
「50万円、です……」
私は、正直に伝えました。そして、借金をしてしまったことや、今まで全然連絡もせず、心配をかけ、親不孝をしていたことを謝りました。
「わかったよ。じゃあ、今日中にお前の口座に振り込んでおくからね。」
その日のうちに銀行へ行ったところ、口頭で伝えたよりも10万円も多い、60万円が口座に振り込まれていました。
10年近い年月を経て借金を完済
後になってから聞いたのですが、どうやら、人生ではじめて娘に頼られた、ということとがとても嬉しかったのだそうです(笑)。そうして私は無事に、全額返済をすることができたのでした。
はじめて借金をしてから、実に10年近い歳月が流れていました。
自分で抱え込まない
無事に借金を返済できて本当に良かったです。借金ゼロ! 借入金ゼロ! というのは、本当に気持ちが楽です。気持ちが軽くなったからなのか分かりませんが、前よりも節約ができるようになりました。少しずつですが、貯金もできるようになりました。
この記事をご覧になっている方で、過去の私と同じように、今、借金をされている人もいらっしゃると思います。そのような方に伝えたいのですが、どうか、自分一人で悩まないでください。誰かに相談したり、打ち明けるということを躊躇しないでいただけたらな、と思います。
今思えば私も、主人と一緒に暮らし始めたときに正社員のままでいれば、もっと早くに借金を返すことができたかもしれません。
親にも、もっと早く相談していれば、60万円という大金を代わりに支払ってもらうことはなかったかもしれません。少なくとも、主人が鬱になって仕事を辞めた時は、それほど大きな金額には膨れ上がっていなかったのですから……。
誰かに助けを求めることが大切
自分一人ではどうしようもならない状況になってしまったら、躊躇しないで誰かに助けを求めることをお勧め致します。私の場合は親でしたが、仲の良い友達に意見を聞いてみる、というのもアリだと思います。情報通のお友達でしたら、仕事を紹介してくれたり、何かしら解決に向けて有利な情報を提供してくれる可能性があります。(ただ、友情にヒビが入ってしまう可能性もあるので、お金を借りる、ということはオススメしません。)
専門家に相談することも
友人や家族にはどうしても相談できないという方は、公的機関や、司法書士、弁護士といった法律職の方に助けを求めると心強いと思います。今は、「弁護士 無料 相談」といったキーワードで検索をすれば、無料で弁護士からアドバイスを貰えるサイトが沢山出てきます。中には直接訪問せずとも、メールや電話で相談にのってくれるところも多々ありますので、乳幼児がいるなどでなかなか外出できない方はそういうところに一度問い合わせをしてみると良いと思います。
私の経験上、一番良くないのは、「誰にも言わないで自分一人で抱え込んでしまう」ことです。不安とストレスで鬱になってしまっては働くこともできなくなってしまいますし、元も子もありません。例え解決しなくとも、誰かに「借金で悩んでいる」ことを打ち明けるだけでも、だいぶ楽になるはずです。
私は現在、子供が通園している間に、在宅ワークをしています。通勤時間もないですし、園の行事や子供の急病にもすぐに対応できるので、自宅で働けるということは主婦にとってとてもメリットがとても大きいです。親にはとても迷惑をかけてしまいましたので、在宅ワークで稼いだお金で少しずつ返済していき、この先親孝行も沢山してゆきたいと思っています。