稼げないパチプロが80万の借金を3ヶ月で返済した話|ギャンブル地獄

【体験者のプロフィール】

  • 性別:男性
  • 職業:介護職
  • 年齢:20代
  • 借金:80万円

健全で借金とは無縁の生活だった

私は借金をするまでは借金とは無縁の生活を送っていました。
子供の頃から両親には嘘と借金はするなと聞かされて育ったので、大人になってからもその教えを守り、福祉の短期大学を卒業後福祉の仕事を真面目に続けていました。借金をするまでの私の人生は、どちらかというとお金に困っている友達がいたら食事をご馳走したり、お金の相談を聞く立場の存在でした。
実家で生活をしていたので毎月給料日に5万円を両親に渡していました。

趣味は登山や友人達との草野球でした。健康的な趣味が好きで、休みの日は外に出かけてインドアよりもアウトドアの方が好きでした。

始めての借金はすぐに返済

私はとにかく借金をしないように生活していましたが、昔に両親から一度だけお金を借りた経験があります。
財布を落としてしまい、次の日必要な交通費と食費を貸してもらいました。お金を借りたのはその一度だけです。その時に借りたお金は、後日すぐに返済しました。
クレジットカードは持っていますが、たまにネット上で買い物をする際や、急な出費で手持ちのお金がない時などにしか使用しませんでした。普段は財布の中にあるお金で生活するようにしていました。

ギャンブルと借金地獄のきっかけ

あるとき職場で、今の仕事の収入以外にパチンコとパチスロで月20万円ほど稼いでいる先輩に出会いました。その先輩はいい時計を付けており、外車に乗った典型的な金持ちのような感じの人でした。職場では他とは雰囲気の違う感じでした。

そんな先輩もギャンブルのお金をあてにしているわけではなく、仕事は真面目で人一倍仕事をしていました。先輩は両親から離れて若いころから一人で暮らしをしているとのことでした。私は先輩に仕事をなぜ続けているのか尋ねたことがあります。先輩は社会貢献と安定した収入のためと答えてくれました。そんな先輩に興味を持ちつつ遊んでいると、一緒にパチンコに行こうと誘いを受けてパチンコに行くようになりました。

先輩のパチンコでの収入を聞いて、私はパチンコで生活するのもアリかなと思うようになりました。それから私は一人でもパチンコに通うようになりました。これが私がパチンコに目覚め、この後借金をするきっかけとなったのでした。

パチンコと一人暮らしの開始

私は福祉の仕事で毎月貯金が出来るほどの生活を送っていました。
先輩と出会ってパチンコに通うようになりましたが、この頃はまだ福祉の仕事が終わった後に、いい台があれば打つといった単純な作業でした。始めたばかりの頃は収支がマイナスになっていましたが、先輩の指導にり始めて数カ月で月に5万円から10万円を稼げるようになりました。
私はパチンコで利益が出るようになってから一人暮らしを始めることにしました。

パチプロになるのは止められた

実家で暮らしていた時に家に入れていたお金は、毎月両親の口座に5万円振り込むようにしました。
一人暮らしをしながら両親に仕送りをするのは、最初不安がありましたが、慣れてくると特に気になることも無く無事続けることが出来ました。

パチンコの収入と本職での収入が安定してきたので、先輩に仕事を辞めてパチプロとして生活をしたいと相談したところ、あっさり止められました。先輩はパチンコはあくまでも趣味でやるものであって、仕事を辞めてパチプロで生活するなんていうことは言語道断だという考えでした。
先輩に「パチプロ一本で食っていこうなんて甘い考えだ。パチンプロなんて稼げないぞ!」と言われた事を今でも思い出します。
しかし当時の私は、どうすれば会社を退職して自分の力でお金を稼ぐことが出来るのかを、毎日のように考えるようになっていました。

先輩との別れとパチプロ開始

ある日突然先輩は家業の関係で実家に帰ることになり、おそらくもう私の地域には帰ってこないとのことでした。
私にとってショックの大きい出来事でした。
先輩にパチプロになることは止められていましたが、先輩が実家に帰った二か月後に退職し、パチプロとして生活することを決心しました。

そこで私はまず有給休暇を取り一カ月でパチンコとパチスロでどれだけ稼げるかチャレンジしてみることにしました。
すると最初の一カ月目に28万円、二か月目に25万円稼ぐことが出来たので、その一か月後に職場を退職してパチプロとして生活していくことにしました。
福祉の仕事をしていて貯めていた貯金が80万円あり、退職金の40万で合計120万円の貯金を持ち退職することにしました。

パチプロの現実は厳しかった

退職金の40万円は両親と一緒に旅行に行き、ほとんど残りませんでした。でも貯めていた80万円があったので、当分余裕をもって生活できるであろうと思っていた私は、パチプロがとても厳しい世界であると初めて思い知らされることになりました。
パチプロは知識と経験があればある程度の金額を稼ぐことが出来ます。
しかし、毎日いい思いが出来るわけでなく、勝つことが出来ない日もあるので収入が全く安定しません。有休休暇中には二カ月で50万円以上稼ぐことが出来ましたが、仕事を辞めてからは二カ月で35万円程度になってしまいました。

決して低い金額ではありませんが、一人暮らしで両親に毎月5万円の仕送りをしていた私にとっては結構きつい生活でした。
当初の予定であった月に25万円の目標を稼ぐことが出来れば、余裕で生活することが出来ましたが、当初の目標より大きく下回ってしまったため貯金を切り崩しての生活をスタートすることになりました。

貯金がなくなる恐怖と不安

貯金に手を付けずに生活できているうちは、精神的にも余裕があり、パチンコをしていても特に不安になることはありませんでした。しかし貯金を切り崩しだすと一気に不安になります。
この時に仕事を探して実家に帰っていれば借金をせずに済みましたが、当時の私は一人暮らしにも慣れてきた頃で、何より意地でも自分の力でお金を稼いでやるという気持ちが強かったため素直に仕事を探し実家に帰ることが出来ませんでした。

何より両親に仕事を辞めて、パチプロをしているなんて言うことは出来ませんでした。

80万円あった貯金が半分に

仕事を辞めて三カ月が経つと私の80万円あった貯金が半分ほどになってしまっていました。
さすがにやばいと思い、知り合いの紹介で日雇いの仕事を紹介してもらいましたが、パチンコとの両立は厳しく、日雇いの仕事では月に6万円ほどしか稼ぐことが出来ませんでした。特に収入が増えるわけでもなく、仕事をしながら貯めたお金は半年ほどで一桁になってしまいました。

始まった借金の負の連鎖

借金をすると借金の連鎖が始まります。
先述のとおり、私は原付の買替のために10万円の借金をしました。
私の月の収入が約25万円です。

  • 日用品1万円
  • 食費3万円
  • 家賃5万円
  • 保険料3万円
  • 自由に使用するお金5万円
  • 実家に仕送り5万円

といった感じで最低でも生活するために20万円以上かかっていました。そのため毎月余るお金は1~2万円で、余裕のある生活をしていたわけではありません。さらにパチプロは安定した収入を得られるわけでないので、定期的に現金が必要になることや、連続で負けてしまうこともたまにありました。
そんな中10万円の借金をしてしまうと返済するのが大変になります。

生活が借金に対応できず、更に借金をする

私はそれまで10万円借りるとその月に返済するようにしていました。
すると今までは25万円で生活していたのが、15万円で生活しなければならなくなります。毎月15万円だとさすがに生活が大変で、少しでも節約しなければという思いから、食費をギリギリまできりつめていました。空腹でいつもふらふらしていて、頭も考えがまとまらない感じでした。ちゃんとした栄養も採れていなかったと思います。それでもパチンコで稼がねばと重い身体を引きずってパチンコ店に通っていました。
こういう生活のため、少しのトラブルが起きると普通の生活を送ることが出来なくなり、またお金を借りなければならなくなってしまいました。さすがに15万円での生活は厳しく、翌月も10万円消費者金融から借りることになりました。

出費が重なり返済にも影響が

私は借金は返済すれば特に問題はないと思っており、実際に借りたお金はその月のうちに返済していました。
しかし、月に2回3回と利用すると、お金を稼ぐ理由が借金を返済するためになっていました。そんな稼いでは返済を繰り返していた時期に、パチプロとしての収入が二カ月連続で少ない時がありました。
その頃は深夜にアルバイトもしていましたが、それだけでは生活できなくなり、ついに借りていたお金がその月のうちに返済することが出来なくなってしまいました。

さらに税金や、友人の結婚などでお金が必要になり、ついに私の借金は30万円になってしまいました。
その月のうちに10万円は返済できましたが、返済すれば返済した月に20万円から30万円借りなければ生活できなくなっていた私は、ついに両親に仕送りできないことを伝えて借金返済に充てました。

しかし、その次の月にパチプロとして初めて赤字の月が訪れてしまい、ついに借金の金額は50万円になってしまいました。
借入限度額が50万円だったため、これ以上お金を借りることが出来なくなり、ついに両親に相談して実家に帰ることになりました。

返済目標をたてて計画的に完済した

私はついに両親に借金があり、一人では生活していくことが出来ないと相談してアパートを引き払い実家に帰ることにしました。
両親は事情を話せば帰ってきても良いと言ってくれて、借金が全額返済するまでの間実家で生活することになりました。借金は自分で返せと父に言われたので、両親からお金を借りることなく毎月少しずつ返済していくことにしました。

両親からは、借金を返済したらまた一人暮らしを始めるよう言われました。毎月少しずつ返済していた私は、ついにパチプロとしての生き方を辞めて正社員で働くことにしました。

父のアドバイスと借金返済の計画

私はとりあえず就職すると両親に伝えました。
出来るだけ早く返済したかった私は、3カ月で返済する目標を立てました。
一人暮らしの時は家賃と仕送りで10万円ほど掛かっていましたが、実家暮らしで浮いたお金を借金の返済に充てることにしました。

しかし、正社員で働いてみると、手取りの給料が15万円ほどでアルバイトと合わせても20万円程度でした。借金返済と携帯代や出費を考えると結構ギリギリの金額でした。そんな時父がやりくりや返済についてのアドバイスをしてくれました。そのおかげで最初の返済月は計画通りに返済することが出来ました。
借金してもきちんと計画を立てて返済すれば、正社員での仕事とアルバイトを掛け持ちして何とか生活できるようになりました。

もう借金はしないと決心した

実家に世話になりまがらなんとか借金を全額返済することが出来ました。
父から借りたお金は正社員として頑張って働いた初めてのボーナスの時に全額返済することが出来ました。この時私はもう二度と人に迷惑の掛かる借金はしないと決心しました。ギャンブルや無駄遣いもやめ、飲みに誘われた時などに、お金がなければきちんと事情を説明して断るようにしています。

私は借金をして多くの物を失いました。彼女を失ったり、親戚と疎遠になったりもしました。借金をしなければそれらを失うことはなく、今でも良い関係を築いていたと思います。ギャンブルによる借金で、失ったものは計り知れません。逆に得たものは何もありませんでした。今は定職について、安定した収入があります。今では決してパチプロを職業にしようとは思いません。

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