21歳で親の連帯保証人になった経緯と自己破産後の生活

素晴らしい住宅と、恐ろしい現実

引っ越した先は4階建ての持ちビルで1回はガレージ、2回は事務所、3・4階が住宅と言う造りで本当に贅沢なものでした。
まさかこんな都会で、こんなに大きな家での生活が待っているとは夢にも思わず、それこそ文字通り「夢心地」でした。

しかしここにも恐ろしい現実が隠れていたのです。
母の再婚相手の会社が、倒産寸前であったことです。
当時17歳だった私ですが、それが何を意味するのかはすぐに察しがつきました。
早い話が、お互いが「お金を持っている」という期待の元結婚したと言う事でしょう。
お互いの素性が知れたとき、二人がどんな気持ちだったか、考えるとぞっとします。

それでも二人は協力し合い、その難局を乗り切ろうと努力しましたが結局義父の会社は倒産。
あろうことか、またも持ちビルが競売にかかり、その家をも引き払わない結果になったのです。

実父との暮らしと転職

17歳当時の私は、高校も2年生の時に中退し、アルバイトを転々としていました。
かなりの飽き性で、ある程度その仕事ができるようになるとつまらなくなってしまい、新しいアルバイトを探す、ということを2か月スパンで繰り返していました。

このままではダメだと思い、実の父に相談に行きました。
父はどうしようもない人間ですが、仕事に関しては実績があり尊敬していたため「鍛えなおしてほしい」と直談判。

それならと知り合いの運送会社への就職を勧められ、運転免許を取り就職。
必死になって働きました。

その会社に事務員として入社してきた女性と付き合うことになり、ほどなくして結婚。
かなり早い結婚でしたが「早く普通の家庭を築いて母を安心させたい」という想いもあり、相手が5つ年上だったことも手伝って決断に至りました。

母と再婚相手の巧妙な手口

結婚1年目のある日、母とその再婚相手から連絡があり「ディズニーリゾートのチケットが手に入ったから、夫婦で行ってくれば?」という、人生において最大のサプライズプレゼントの電話がありました。

私は幼いころから大のディズニーランド好きででした。
当然2つ返事をし、夫婦で行くことにしました。
しかも東京ベイホテル東急での宿泊つき。フリーパスも2日分という、ディズニー好きには最高のプレゼントでした。

しかしこのプレゼントを受け取るが、最悪の結果へとつながる第一歩になる事は、その時は想像もできませんでした。

安易にサインした契約書

東京ディズニーリゾートに行く前に、私たちはまだ買っていなかった結婚指輪を購入しました。
若く収入も少なかったため、なけなしの予算でそれぞれ3万円ほどで購入。
それでも妻は喜び、私たちはウキウキしながら京ディズニーリゾートへと向かいました。

向かう道中「今日、新橋に来てくれない?」母から電話が来ました。
ディズニーリゾートに向かってるから今日は勘弁してほしいと思いながらも、母もひどく困っているようでした。
妻の不満を宥めつつ、新橋へ。
妻とは後で合流する約束をして、私一人で母のもとへ行きました。

母の要件は「連帯保証人になってほしい」とのことでした。

突然のことに唖然としましたが、テーブルには既に契約書らしき書類が。
再婚相手も同席しており、テーブルをはさんで反対側にはスーツ姿の見知らぬ男性。
浅はかにも当時の私はディズニーランドに早く行きたいし、妻を待たせているしということで即答でサインし、押印。

「ごめんね、ありがとう」母のいつもの言葉に何となく違和感を感じながらも、すぐにその場を退散しました。
そして妻と合流してディズニーリゾートへと向かいました。

今考えると無知だったとはいえ浅はかだったと後悔しています。

連帯保証人になっていた

変わらず忙しく働く私に、ある日母から連絡がありました。
とても大事な話があるとのこと。
明らかに様子がおかしく、狼狽えました。

後日、私と妻、母と再婚相手の4人でファミレスで会うことになりました。
結論は、1500万の借金があり、もう手詰まり。自己破産する。と言うものでした。

当時まだ21歳だった私には「自己破産」について、何となく「ヤバイ」という認識しかありませんでした。

それが私たち夫婦に何らかの影響があるとも思えず「そーなんだ」くらいのリアクションでした。
そのあとの母の説明を受けたとき、背筋が凍りました。

東京ディズニーリゾートに行った日に私が押した書類は借金の契約書で、その額1500万。

私はその借金の連帯保証人になっていたのです。

母と再婚相手が同時に自己破産した場合、私と同じく連帯保証人になっている再婚相手の長男と長女に振り分けられ、私自身は500万の負債を背負うことになるということでした。

自己破産することに。そしてその後の生活の変化

あまりの事態に言葉を失いました。
当時の私の月収は30万円程度。
500万円なんて借金を返せるはずがありません。
母と再婚相手は私にこう言い放ちました。

「知り合いの弁護士に頼むし、弁護士費用は気にしなくていいから、一緒に自己破産しよう」
こうして私は、21歳にして、500万円の負債を抱え、自己破産を経験することになったのです。

妻は当然母と再婚相手を恨みました。
ディズニーリゾートを餌に私を釣り上げ、真っ当な社会人としての生活から遠ざけたわけですから当然です。

自己破産の手続きが完了するまで、およそ1年近くを費やしました。
しかしその間支払いが発生することはなく、ごく普通の暮らしでした。

自己破産後の生活はあまり変わりなかった

事故破産後の生活は、我が家の場合、全くと言っていいほどありませんでした。
自己破産をした場合、「資産」となるものは取られてしまうケースが多いです。
しかし私の場合「資産」と言える価値のあるものは全く持っていませんでした。

住宅は賃貸のアパートでしたし、車も中古の10年落ち。
たとえ調査員に身辺調査をされても何もないため、生活に支障は無いに等し勝ったのが事実です。

戸建て住宅購入の夢が遠のいた

デメリットを強いて言うなら、住宅ローンが組めなくなったことです。
早いうちに一戸建てを購入する予定があったため、それがかなわなくなりました。
自己破産をすればローンが組めなくなります。
最大で10年間、一切のローンが組めなくなるわけですので「30歳を過ぎる頃まで家を買えない」という事実が、一番ショックでした。

それ以外は、もともと妻はローン嫌いで、車も貯金をして買いたいと言っていたほどなので、クレジットカードを作る予定もなかったため、苦しさはありませんでした。

自己破産という選択と保証人になる事の危険性を痛感

私は今現在4人の子供を授かり、事故破産後6年後には住宅ローンの審査に通過。
中古ながら一戸建てを購入することができました。

自己破産は大変なことですが、身をすり減らしてどうあがいても返済できない場合は選択肢として考えても良いと思います。
もちろん安易に多額の借金をして自己破産をすることは、色々な人に迷惑をかけることになるので控えるべきです。

ただしどうしようもない事情で返済が不可能な場合の方は、病気やストレスで自滅してしまう前に弁護士や司法書士に相談し、自己破産を選択することもやむなしだと思っています。

あと、やはりいくら身内であっても保証人にはなるべきではないと、身をもって感じました。

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