【体験者のプロフィール】
- 性別 :男
- 職業 :元飲食店経営
- 年齢 :50代
- 借金 :1500万
- 対応方法 :自己破産
独立して個人事業主へ~突然の倒産
私はとある不動産会社の飲食部門で、ショットバーの雇われ店長をしていました。お店は会社の持ち物件だったので、家賃がかからず、お気楽な経営をしていましたね。今思えば、非常に良い条件だったと思います。給料をもらいながら、常連客と毎日、楽しく酒飲んでいれば良かったのですから。
利益はあまり出ていませんでしたが、それでも、緩やかな右肩上がりで、そのまま上がっていくものとばかり考えていました。調子づいていた私は、会社を通じて新築で家を買い、ゆくゆくは店舗展開をしようか?などと、浅はかな夢ばかり見ていました。
店の倒産
そんなある日、突然会社が倒産してしまったのです。
なんの前触れもなく、いきなり今月いっぱいで終了と聞かされて、呆然としました。当然店舗も売却され、オーナーも変わりました。
しかし、なんとかお店は続けたい。スタッフには家庭を持つ者もいましたし、お店を通じて得た人間関係は、私にはもう失うことのできないものになっていました。
店を引き継ぐことに
お店をなくすことが怖かった私は、店を引き継ぎ、なんの準備もないまま、個人事業主として独立することにしました。新しいオーナーと賃貸契約を結び、それまで無かった家賃を払いながら、店を続ける事になったのです。
このとき年齢は40歳。
その後、生活は一変しました。
毎日楽しくやっていたお店が、辛く苦しいものになっていくのです。
資金繰りが厳しくなる
独立したので、当然給料はなくなり、私の収入は店の売上からしか得ることはできません。
新たに発生したお店の家賃は月20万。買ったばかりの新築の家は3500万で、毎月のローンの支払いは13万になります。月の支払いがこれほどに増えると、それまでの売上ではまかないきれません。
売上が急に上がることもなく、徐々に徐々に負債が溜まっていきました。
スタッフの給料を払って自分は給料無しの毎日
日々の売上から、スタッフの給料を最優先して払い、お店の経費を払って残ったものが私の収入です。が、私には1円も入らないまま、月を越すこともあって、私自身の生活を圧迫していきました。家のローンはもちろん、税金や保険料、電気代など、払えなくなっていったのです。
そして、ついには店の家賃や買掛金なども払えなくなっていきました。日々の売上金を、そのまま次の支払いに回す。そんな毎日が続きました。
準備金不足で断念した自己破産
頭の中は、毎日支払いのことばかり。私は精神的に疲弊し、いつの間にか笑顔を忘れたような暗い日々を送っていましたね。
実はこの頃にも一度、自己破産のことを考えて、弁護士に相談したことがありました。
このときの弁護士によると、事業をやっていて不動産のような大きな資産があると、管財事件という扱いになるので、準備金が最低50万円ほど必要とのこと。毎日現金が足りない状況で、50万円など準備できるはずもありません。このときは自己破産は断念したのでした。
差し押さえ~閉店
ある日いつものように支払いの為、銀行へ行き、ATMから振り込みをしようとしたら、残高がゼロになっていました。
「差し押さえだ!」
税金の滞納により、税務署から銀行口座が差し押さえられ、残高が全部引き落とされていたのです。郵便物を調べたら、確かに通知が来ていました。
そんなに多くはない金額ですが、それでも支払いに当てなければならないお金です。いろんな支払いを少しづつ待ってもらっている状態でしたから、遅れても払えるならまだ良いのですが、払えないのは厳しい。
「・・・・もうこれ以上は無理だ。」
少しづつ膨らんでいく負債に歯止めがかからず、これ以上続けても回復は見込めない、そう判断した私は差し押さえを期に、お店を閉めることを決心しました。
もっと早く閉めたら良かったのかもしれない。あるいはそもそも独立などしなかったほうがよかったのかもしれない。いろいろ反省はしました。
しかし、一番の原因は、ずさんで適当な経営をしていたからでしょう。
お店の最後の日、閉まりゆくシャッターを見ながら、自分の非力さを思い知らされたのでした。
持ち家を競売にかけられる
お店を閉店した後、私はアルバイトで生活をしていました。しかし、アルバイトでは、到底支払いには追いつきません。閉店時のお店の残債は300万ほどあり、当然家のローンも払えないままです。
結局家は、競売にかけられることになりました。
長い時間をかけて競売は終了し、店も家も無くした私には、最終的には1500万ほどの借金だけが残ったのです。このとき45歳。
再就職も厳しい年齢です。これと言ってなんのスキルも無い私は、日払いのようなアルバイトを続けていくしか方法がなかったのです。
督促に追われる日々
バイト代のほとんどを支払いに回し、少し残したお金で細々と暮らす生活をしばらく続けました。手元には決まって小銭しかない、そんな生活です。
「一生このままなのだろうか?・・・」
なんとか頑張って払っていきたいとは思いつつも、もうこのとき、年齢は48歳。たぶん生きているうちに完済するのは無理でしょう。
小銭で暮らす毎日には限界がありました。ちょっとでも何か想定外の出費があると、すぐ生活が回らなくなりますから。
カード会社からは、督促のハガキが次々に届きます。利息だけ払ってなんとかやり過ごしてましたね。そして、税金や健康保険料の支払い相談には、毎月のように役所に出向いていました。なんと言っても督促が一番きついのは国です。到底払えないような金額の納付書を機械的に送りつけてきます。しかし、相談に行かないと、いつ差し押さえに合うかわかりませんからね。
強制退去で住む場所も危うくなった
家賃の滞納も長期に渡り、強制退去の心配も出てきました。居場所さえ危うくなってきたのです。毎日支払いに追われる日々。もうそれらを処理するためだけに生きているような、そんな気さえしました。
「生きている意味があるのだろうか?」
流石に自殺までは考えませんでしたが、生きがいのようなものは、もはやありません。とにかく、この借金生活をなんとかしたい、それだけを考えて暮らす毎日でした。
再び自己破産を決意~法テラスへ相談
督促に追われる毎日から抜け出すために、再び自己破産を考えます。正直、自己破産するのは、かなり不安でした。破産後の生活も不安ですし、そもそも破産できるのだろうか?と。
準備金など、用意できるはずもありませんから。
しかし、そんなことを言ってられるほどの余裕はなくなっていました。永遠に続く鬱な状態に耐えられなくなっていたのです。
そこで、「法テラス」なるものに相談することにしました。「法テラス」は国が設立した機関で、様々な法律に関する相談に乗ってくれます。債務整理については、資産や収入が一定基準以下の個人なら、弁護士費用など、必要な準備金を建て替えてくれる制度があるのです。
以前とは異なり、もう事業もしていないし、不動産のような資産もありませんから、この制度が使えれば、自己破産できるかもしれない。
ワラにもすがる思いで、法テラスに相談しました。そしてそこで弁護士さんを紹介してもらい、法テラスの制度を利用する方向で進めてもらえることになったのです。
法テラスの制度を使って自己破産へ
法テラスから紹介された弁護士さんの尽力により、無事、制度が適用されることになりました。準備金がほとんど用意できないような私でも、自己破産の申請ができるのです!
自己破産するに当たり、弁護士さんが代理人となったという書状を債権者に出します。そして一時的に全ての支払いを止めます。するとその瞬間から、毎月次々ときていた督促などは、ピタッと来なくなるんですね。
「弁護士、すげえ」
正直な感想です。あれだけ私を悩ませていた督促が一瞬で来なくなる。弁護士の力は偉大だと、思いました。そして、長い長い間苦しんだ借金生活がやっと改善に向かうことになり、数年ぶりに心が軽くなっていくのを感じましたね。
その後、結構な時間はかかりましたが、自己破産は着々と進み、無事免責が認められました。
借金から開放されたのです!
約10年に渡る長い長い借金生活が、やっと終わったのでした。
このとき50歳。思い切って自己破産することを選んで本当に良かった。
人生をやり直すのに、遅すぎるということはありません。いつでもやり直しはできます。しかし借金に追われている状態では、やり直しをスタートさせることもできないのです。
これでやっと人生のやり直しができる。もうこれからは借金に振り回されることなく、自分の人生を歩んでいきたい。これまでのことを反省して、これからは堅実に生きていこう。
そう心に刻んだのでした。