【実録】過払い金請求で戻った210万円|寝たきりの父の介護と借金返済

【体験者のプロフィール】

  • 性別 :男性
  • 職業 :会社員
  • 年齢 :40代
  • 借金 :200万
  • 対応方法 :通常返済のち過払い金請求

父の突然のくも膜下出血と後遺症

私は公務員の父のいる家庭で平和に育ちました。
そんな生活に転機が訪れたのは、私が中学生の頃でした。夏休みに家族で千葉の房総半島へ旅行へ行った帰り道の事です。
父が高速道路の運転中に突然「頭が痛い」と言い始めたのです。

その時は、母も私たちも、長時間の運転によるストレスだと思っていました。我が家に帰宅して横になれば、すぐに良くなると思っていました。しかし、帰宅後すぐに横になって安静にしても、父の頭痛は一向に良くなりませんでした。

そして深夜。父の悲鳴のような、怒鳴り声のような、尋常ではない叫び声で私達は飛び起きました。これはただ事ではないと、母が救急車を呼びました。
検査した結果、「くも膜下出血」ということでした。そして、もう少し病院に行くのが遅かったら、おそらく命はなかっただろうと言われました。

父は入院して幸い一命は取り止めたものの、軽度の後遺症が残ってしまい、仕事を辞めて自宅療養せざるを得ない状況になってしまいました。

一変した生活

それからというもの生活は一変しました。

それまでは、実家にはそれなりの額の貯金があったらしいのですが、みるみる貯金はなくなっていき、お金に困る日々が始まりました。しかも、私たち兄弟は中学生から高校生。

一番お金がかかる時期でした。貯金が底をつきかけてから母はパートに働きに出たものの、専業主婦だった中年の女性が、いきなり男性並みに稼ぐことなどできるはずがありません。特別なスキルもなかった母の収入は、毎月微々たるものだったそうです。

奇行が目立つようになった父

当時父は軽度の後遺症はあったものの、日常生活はこなすことができていました。
自分で歩いたり、物を食べたり、お風呂に入ったりといったことはできていたのです。

しかし、突然理解ができない言動をしたり、いつの間にか家を抜け出て徘徊することがありました。
夜中に「仕事へ行く」と言って、家を出ようとしたことも一度や二度ではありません。そのような状況だったため、最低でも誰か一人は、家に残って父を見ていなければなりませんでした。

母を助けるためアルバイトを始めた

そのため母は日中フルタイムで働くことはできませんでした。
母は私たち兄弟がが学校から帰宅してから、夕方から夜にかけて働きに出ていました。

そんな母を助ける為、当時中学生だった私は新聞配達のアルバイトを始めました。
アルバイトで稼いだお金は、半額は母に、半額は自分の小遣いにしていました。この頃、借金をせずに生活できていたことは今でも奇跡だと思います。

再び倒れた父

高校卒業後、私は大学へは行かずに就職をしました。会社へは自宅から通い、毎月家にお金を入れていました。そして、自分で稼ぐようになった私は、クレジットカードを数枚持つようにもなりました。しかし最初はキャッシングは利用せず、主にショッピングで時々利用する程度でした。
父は一度倒れて以降は20年近く自宅介護でした。

病状は平行線だったものの、私が34歳のときに再び自宅の階段で倒れました。
ある日の夜、自分の部屋でテレビを見ていたら廊下からものすごい音がして、うずくまってうんうんと唸っている父をみた時には血の気が引きました。すぐに救急車を呼びました。骨折などの外傷はなかったのですが、どうやら再び脳に異常がありそうだ、という結論になり、再び緊急入院をしました。

払えない入院費

私が大きな借金をしたのは、この時でした。お医者さんや看護婦さんから父の病状について説明を受け、「入院費の件ですが……」という話になった時。夜中に家計簿を見ながら、頭を抱えて泣いている母の姿を思い出した私は、咄嗟に適当なことを言って、母に席をはずしてもらいました。

長年にわたる介護生活で、我が家にはお金がないことは重々分かっていました。私は一人で、入院負担額の説明を受けました。
請求書に記載された金額は、私が予想した通り、とてもその時の母が用意できる額ではありませんでした。私は病院側にひとこと言って離席すると、母の目をぬすんで早足で病院を抜けました。

貯金とキャッシングで支払った

そして、病院のすぐ近くにある銀行のATMへ駆けつけました。当時の微々たる貯金をすべて引き出し、複数持っていたクレジットカードの限度額まで、キャッシングをして現金を用意しました。
そして私は病院へ戻り、父の入院費の全額を一括払いしました。母には、「入院費だけど、医療費の補助金が色々と降りるみたいだから心配いらないみたいだよ」と説明して安心させました。

余ったお金は、そっと母の貯金通帳に入金しておきました。

自分ひとりにのしかかる経済的負担

父はその後無事に退院できましたが、それ以来は自宅で寝たきりになってしまいました。私はその後、相変わらず仕事をつづけながら、毎月少しずつリボ払い返済をしていきました。最初のうち私は、ボーナス月にまとめて返済をするなどして、早々に完済できるだろうと思っていたのです。

しかし、父の医療費などは今まで以上にかかるようになり、母も持病のリウマチがひどくなって働けなくなってしまったことで、私ひとりにほぼすべてがのしかかっていました。成人した他の兄弟たちは家を出てしまい、年老いた両親の事を放っておいて連絡すらしてこなくなってしまいました。

減らない元金と女性との出会い

毎月支払いはしていたのですが、利息だけ支払いして肝心の元金をなかなか減らすことができませんでした。
時には、両親の入院や実家の固定資産税など大きな出費があり、更に借金をしなければならない事態にもなりました。給料は上がらず、借金を返せず、貯金もできない。その状態で年だけとっていく自分の人生に、焦りを感じるとともに、「自分はきっと一生独身なんだろうな」と予感をしていました。

そしてある日、私は今の奥さんとなる女性と出会いました。私は借金を抱えたまま、貯金もできずに40歳になっていました。恥ずかしながら、私は最初のうちは、借金があることは黙っていました。

年齢的にも最後の恋愛になる予感がしていて、借金のことを伝えたら振られてしまうかもしれない、という恐れがあったのです。

借金を告白してプロポーズ

私は借金を全て返済してからプロポーズをするつもりでしたが、今のままでは完済は無理だと分かっていました。そしてついに正直に打ち明ける決心をしました。私はこう言いました。

親が入院した時にお金を借りて、今もその支払いを続けています。まだ、大きな額が残っていて俺には貯金も全くない。そんな俺で良ければ、この先、結婚して一緒になって欲しい。

その告白に対する彼女の反応は、予想外のものでした。正直に言ってくれてありがとうと、お礼を言ってくれたのです。
そして彼女はプロポーズをOKしてくれたのです。

私は泣いてしまいました。今までほとんど恋愛の経験もなく、40まで独身で、しかも借金があって貯金ゼロの自分が、人生の伴侶と出会うことができたことを私は心から神に感謝しました。

妻と協力して借金返済開始

彼女と一緒に暮らすようになってからは、お互いフルタイムの共働きだったので、順調に借金を返していました。格安のアパート暮らしで車も持てず質素な生活でしたが、それはそれでとても楽しかったです。そして、借金を返済していきながらも、このころからは微々たる額ですが毎月貯金もできるようになっていました。

そして無事に入籍しました。結婚式を挙げることもできませんでしたが、格安の写真館で結婚写真だけは残すことができました。結婚指輪も、高価なエンゲージリングは購入せず、自分たちの身の丈にあった金額のマリッジリングだけを購入しました。

返済中に妊娠発覚

それから数年間ほど、同じような生活が続けば、問題なく借金を返済できるはずでした。
しかし、予想外なことに、入籍後半年もしないうちに妻の妊娠が発覚しました。妻はそれほど体が丈夫な方ではなかったので、つわりが始まってからは度々会社を休まざるを得なくなってしまい、やがて退職しました。
その後、医療費などもかさみ、なかなか借金を返していくことができませんでした。

妻の退職金・児童手当などで完済

しかし、妻の退職金が予想外に大きな額だったので、その金額で大部分を返済することができました。私は妻の退職金を、借金返済に使っても良いのかと迷いました。妻に確認すると彼女は笑って「構わない」と承諾してくれました。

私は将来、絶対に今より稼ぐようになって、妻のために一戸建てを買ってプレゼントしようと心に誓ったのでした。その後無事に元気な赤ちゃんが生まれ、数か月に一度、児童手当が振り込まれました。これがかなりまとまった金額だったため、それを借金返済に充てました。

それにプラスして、私のボーナスなどを充てて、子供が1歳になるころに何とか全額返済することができたのです。

過払い金の請求

全額返済をしてから数年後の話です。

そのころには子育ても落着き、妻もパートに働きに出ていました。借金を返済していたころよりもかなり経済的にゆとりは出ていましたが、それぞれの両親へも仕送りをしていたため、なかなかまとまった額の貯金ができずにいました。まずは100万円貯めることを目標にしていましたが、毎月、数千円から1万円ほどコツコツ貯めていき、数十万円貯まったかと思えばすぐ出て行ってしまう、という状態が続いていました。

テレビCMで知った「過払い金請求」

そんなある日、テレビのCMで、過払い金というものが存在しているのを知りました。
2008年位まで、消費者金融及びクレジット会社などは刑事罰に科せられない(ただし民事上は違法)通称「グレーゾーン金利」を利用して、利息制限法の上限を超えた利息を設定していたのだそうです。

しかし現在、行政書士さんや司法書士さん、弁護士さんなどを通して手続きをすれば、その払い過ぎた利息を取り戻すことができるとのことでした。最初は、自分とは無関係だと思い気にしていなかったのですが、妻が「そういえば、貴方が昔返済していた借金、2008年より前から、借り入れをしていなかったっけ?」と気付いたのです。
確かに私が大きな借金をしたのは、2008年以前でした。
もしかしたら過払い金の対象になるかもしれないという妻にせかされるようなかたちで、私は弁護士事務所に無料相談をしてみました。

過払い金の対象で戻る金額も大きいと知った

正直、あまり期待はしていませんでした。確かに2008年以前に借り入れをしたけど、きっと過払い金の対象にはならないだろう。なったとしても、ごくわずかな金額だろう、と思っていました。しかし、弁護士さんからいくつか質問をされ、それに返答をしていくと、どうやら過払い金の対象になることと、返済額も大きくなりそうだということが分かりました。

過払い金請求でクレジットカードが使えなくなる?

しかしそこまで分かったものの、私は二の足を踏んでしまいました。なぜかというと、ネット上の情報で、

  • 過払い金を請求するとそれ以降クレジットカードが使えなくなる
  • 住宅ローンに影響が出る可能性がある

というものがあったからです。

私は住宅ローンを借り入れして戸建て住宅を購入し、家族と一緒に住んでいます。だから万一、過払い金を請求したことで住宅ローンが打ち切りとなり、一家で路頭に迷うことになったらどうしようという不安がありました。また、万一また過去のように、突然の大きな出費があり、キャッシングが必要となったときにカードが使えなかったら困るのではないか、と思いました。

しかし、弁護士さんの話を聞くと、まず住宅ローンはすでに実行されているのであれば、心配する必要はないとのこと(審査する前であったり実行前であると、審査に落ちたり実行取り消しとなってしまう可能性があるので注意が必要とのことでした)。また、クレジットカードも他社の物であれば今後も利用できるとのことで安心しました。現に私は、今も他社のJCBカードで家族の水道光熱費などを支払いしています。

色々話を聞いた結果、過払い金請求のメリットは大きいという結論になりました。

過払い金請求の手続きは電話と書面だけ

過払い金請求には期限があるといいますし、早く申し込んでおかなければと思い、思い切って弁護士さんに過払い金請求を申し込むことにしました。
過払い金請求の手続きは、とても簡単でした。実際に弁護士さんに会うこともなく、全て電話と書面のみの手続きで終わりました。

そして、私のところへ戻ってくる正式な返済額を聞いて私はぶったまげてしまいました。私は3社から借金をしていたのですが、そのうち2社から過払い金が戻ってくることになり、1社からは50万円、もう1社からはなんと160万円もの金額が戻ってくることになりました。

これは、我が家にとってはとても大きな金額でした。弁護士さんに無料相談をしてから過払い金が振込されるまで1年近くかかりましたが、このお金を貯金することにより「まずは100万円貯金をする」という目標も達成することができました。

戻ったお金で父の葬儀ができた

実は、寝たきりになっていた父は昨年他界しました。苦しむことなく、ベッドの上で眠るような最期を迎えました。

その時には、もう過払い金の請求が終わっていたので、無事に父のお葬式もすることができました。思い切って弁護士さんを通して過払い金を請求していなければ、我が家にはほとんど貯金がなかったわけですから、お葬式を上げることもできなかったと思います。

相談することが大切

それほどまでに自分を追いつめてしまう前に、どうか身近な人や、司法書士さんや、弁護士さんなどに思い切って相談してみてください。相談費用がない、という方でも、安心してください。今はネットで探せば、無料で相談に載ってくれるところも多数あります。最初はとても悩んでいましたが、実際に行動に起こして本当に良かったです。

借金があるという事実から逃げずに、自分でできることを精いっぱいやったうえで(節約をする、一生懸命仕事をする、等)、そのうえで相談するのならば、何も恥ずかしいことではありません。

以上、私の体験談が、同じように借金をしている人の何かの参考になれば幸いです。

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