【体験者のプロフィール】
- 性別 : 男性
- 職業 : 会社員
- 年齢 : 30代
- 借金 : 80万
- 対応方法 : 分割返済
半年で失った貯金100万円
私が初めて借金をしたのは約10年前で当時25歳の頃でした。
当時ブライダル業界で働いていましたが、仕事は激務な上、給料は決して高くなく入社3年目で手取が20万いかない月も当たり前のようにありました。
加えて大した福利厚生もない中で関東圏で一人暮らしをしていたということもあり、毎月手元に残るお金は雀の涙で貯金といえば年に2ヶ月分ほど出るボーナスを細々と貯めていたくらいです。
職場は明らかな女性社会で、仕事ができるタイプの人間ではなかった私は毎日のように上司から怒られ、職場の女性からもバカにされることは日常茶飯事でとにかくストレスが溜まる毎日でした。
ストレス発散のギャンブルや風俗
「もう消えて無くなりたい。。」と思うこともありましたが、ちょうどこの頃からストレス発散のために通っていたギャンブル(主にパチンコ・スロット)に拍車がかかります。しかし、たちが悪いことに私はそれらに対する知識を持ち合わせておらず、ただただ演出を楽しんでお金を垂れ流すだけの遊びとなっていました。
「たまたま角台が空いたから座ろう」とか、「1,000回転回っているからそろそろ当たるだろう」という感覚で運任せに台を選んでいましたので当然勝てるワケもありません。それでもたまに勝つことがあれば、気を大きくして風俗やキャバクラでお金を使ってしまう始末です。時にはパチンコ・スロットで勝った額以上のお金を使い込んでいましたので、当時100万くらいあった貯金はみるみるうちに減っていきます。
もちろん収支表なんてつけていませんし、日々の生活も特別節約していませんでしたのでギャンブルや風俗・キャバクラ通いが勢い付いたときから半年もしないうちに100万の貯金は底をつきそうになりました。
見せしめの配置転換と退職
その頃転機が訪れます。
私が職場であまりに使えないからだったのか、アルバイトと同じような仕事をするよう配置転換が行われました。当たり前ですが社員の中で私と同じような仕事をする者は誰もおらず、いわゆる見せしめだったり自主退職に追い込むための配置転換だったのだと思います。
本来ならそこで食いしばって職場に残るべきだったのですが、私はもう耐えられなくなって逃げるように職場を辞めることにしました。
新生活のための30万円
20代だったこともあり幸い次の職場は見つかったのですが、職場の場所的にどうしても引っ越しをする必要がありました。
その時点で貯金もほぼありませんでしたので、「1回くらいは親を頼ろう」、そう思ってアパートの契約金や引っ越し代、当面の生活費を含めて30万ほど両親に借りることにしました。これが私にとっての初めての借金です。
30万円の使い込み
そこで私は何を思ったか、その30万で気をよくしてしまい、必要最低限のお金だけを残して残りはまたギャンブルや風俗などに使ってしまいました。
元々住んでいたアパートが家具家電付きだったということもあり、借りたお金を使い込んでしまった私は、新しいアパートで使う生活必需品を買うことができず、しらばらく何もない部屋で過ごすことになります。
ガランとした部屋で、これから新しく始まる仕事に対する不安で気持ちが押しつぶされそうになったことは今でも忘れません。
孤独と不安の解消法
新しい仕事は営業職でしたが、それまで仕事ができなかった私が急に仕事ができるようになるはずもなく、先輩方からは期待外れだと言われてすぐに居場所がなくなりつつありました。
不安解消のために再びギャンブルに
そこで不安を解消するために、またパチンコ屋に通い始めたのです。
しかし手持ちのお金がほとんどなかったためすぐに資金が底をつき、ここで初めて消費者金融に足を踏み入れます。
「すぐに返せば問題ない」、そう思って最初に借りたのは3万円です。機械を通してオペレーターとやりとりしましたが、対応がものすごく丁寧でテレビや漫画で見たような怖さはなくすんなりと借りることができました。しかし初めて借りた3万円はすぐにギャンブルでなくなってしまいました。
そして、次の休日にはまたギャンブルをするために5万円借りてしまったのでした。
借金はATMからお金を引き出す感覚
それは自分の意志が弱いこともさることながら、簡単に借金ができてしまうシステムも原因の一つでありました。
ATMからお金を引き出すような感覚でお金を借りることができ、まるで自分の貯金を使っているような感覚に陥ってしまったのでした。
そこからは芋づる式に借金が増えていきます。平日も時間を見つけてはギャンブルに通い、たまに勝ったタイミングで風俗やキャバクラに行き、お金が無くなったらすぐに借りるということを繰り返していたため借金はあっという間に50万まで膨れ上がっていました。
50万で現実に気づいた
幸い最初の借り入れ時に希望枠を50万と決めていたため、ここでやっと目を覚ますことになります。
これで両親から借りたお金と合わせて合計80万ですが、これがこれからの私に大きな負担としてのしかかることになりました。
借金の返済に追われる日々
そこからは借金の返済に追われる日々が続きます。
食費を切り詰めて体調を崩す
それまでコンビニの弁当や外食をすることが多かったのですが、なるべくお金のかからない食生活を試みました。
その時点でまだ家具家電が揃っていない状態で自炊をすることができず、1袋の食パンを何日かに分けて食べたり休日はスーパーの試食をグルグル回ることでお腹を満たしたりしていました。
しかし慣れない営業職をしている中、そのような偏った食生活をしていたため体調も頻繁に崩してしまう結果となりました。
減らない借金と焦燥感
相変わらず仕事ができない私はいつ前職と同じように自主退職に追い込まれるか不安でたまらない日々を過ごしました。
ここで職を失ってしまっては本当にホームレスになってしまいます。
そうならないために、少しでも先輩に気に入られようと飲み会などには付き合うようにしていたため、上手く返済のお金を作ることができず、借金が思うように減らないことが本当に辛かったことを覚えています。
ここまで来るとジュースを1本買うにもいちいち財布を気にしなければならず、本当に情けない限りでした。
毎月2万5千円を返済すると決めた
まったく減らない借金の残高を見るたびに自分は何のために働いているんだろうとか、何のために生きているんだろうという感覚に襲われることが多くなり何度か通り過ぎる電車の前に立ちすくんだこともあります。
それでも両親に対する申し訳なさや、生きていればそのうち良いこともあるだろうと信じなんとか踏みとどまりました。
両親への返済は先に伸ばしてもらい、とにかく消費者金融のお金を返すために個人的な趣味や娯楽はもちろん、先輩からの誘いも極力断るようにして月々2万5千円のペースで返済することに決めました。転職してボーナスがもらえるようになるまでは約1年ありましたので、それまではとにかく毎月の給料から捻出するしかありません。
禁断症状に耐えながらの返済
そう決めてから最初の2、3ヶ月は順調でしたが、次第にギャンブルに対する禁断症状が表れることもありとにかく耐えることに必死でした。
決して有効先とは言えませんが、そういうときは安い缶チューハイを飲んで酔っ払うことで、なんとかパチンコ屋に足を踏み入れることを留まります。
このような状況に陥ってやっと、借金をすることで生活が一変してしまい、まともな生活が送れなくなってしまうということに気づきました。
何か一つ物を買うだけでも躊躇しますし、自分はなんて駄目な人間なんだろうとひたすら自分を攻めるようになります。
1年3ヵ月で完済した
また、後にわかったことですがクレジットカードすら作れず、自分は本当に社会的信用を失った人間なんだと改めて痛感させられました。
結果的に消費者金融の借金は約1年3ヶ月かけてやっと返済し、転職先で初めてもらった少ないボーナスも、ほぼ借金の返済でなくなりました。
両親への借金は消費者金融の借金返済後、月々の給料から返済しさらにもう1年近くかけて返済することになります。
借金とは常に隣り合わせの私
返済が終わった頃には28歳間近で社会人として本当に大事な時期を無駄にしてしまったと痛感せざるを得ませんでした。
同年代で早い人は結婚してマイホームまで建てようとする人もいた中、自分はクレジットカード一つ作れない人間です。
その後はなとか借金はせずに結婚して子供を授かることができましたが、恥ずかしながら今でもたまに家族の目を盗んでパチンコ屋に足を運びます。
妻とは私の借金歴を話した上で結婚しました。そのため毎月のお小遣いは1万円と決められ、それ以上のお金を得ることはありませんが、またいつか隠れて借金をしてしまうのではないかと不安でたまりません。
私にとって借金の経験は決して人生の糧となるような経験ではなく、ただただ自分の弱さを見せつけられた経験でしかありませんでした。
また、今の状況を考えるとギャンブルから完全に足を洗うことはできないかもしれません。
それでも今の生活を壊したくないという気持ちもありますので、なんとか現状より悪くはならないよう踏みとどまり続けたいと思っています。