【体験者のプロフィール】
- 性別:男性
- 住居:東京都
- 職業:会社員
- 年齢:20代
- 借金:175万円
- 対応方法:返済中
目次
大学を辞めて働くことになった20歳
父に借金があると相談されたのは20歳の成人式を迎えた1ヶ月後のことでした。
私は1年の浪人期間を経て、ようやく希望の大学に入学し、順風満帆な日々を送ってるつもりでいました。
長い春休みの最中、父は普段見せたことがない複雑な表情を浮かべながら、唐突に驚きの事実を口にしたのです。
- 借金があること
- 弟の大学入学資金を用意できないこと
- 自分の後期の大学費用が未払いであること
学費については、辛うじて用意できるのは今後の弟の学費か、私の後期の大学費用かどちらかだけというのでした。
現役で希望の大学への合格を手にした弟。そして、まだ中学生の妹がいた私は、自分の人生と弟と妹の将来を天秤にかけなくてはならなくなったのです。
自分の人生ももちろん大切でしたが、2人の兄として、頑張ってきた弟や、まだ高校にも進学していない妹のことを考えればと、大学を辞めて働くことを決意しました。そうして、最初は派遣会社を掛け持ちし、短期のスポットバイトで働く毎日でした。
初めての借金は実家の土地代
初めて借金をするきっかけとなったのが、実家の土地代でした。
実家の土地は定期借地で、半年に1回まとめて土地代を払う必要があったのです。父のボーナスは借金の返済に全て消え、どうしても現金が必要だった我が家は、自分に借金をしてもらえないかと頼むのでした。
初めて銀行のカードローン契約機に入ったときの感覚を今でも覚えています。当時は何とも言えない不安感と同時に1人の大人として家族の役に立てる喜びのような不思議な感覚でした。
しかし、たった1回だったはずの借金が、その後も2回、3回と回数を重ねていくのでした。
兄弟の学費を稼ぐためにダブルワークを始める
派遣の短期バイトから、どうにか就職先を見つけて定職に就くことができました。
しかし、父は借金の返済に給与が行ってしまい、弟の学費を払うことはままならない状況でした。仕事を始めたばかりの大学中退の私は薄給です。
そうして、兄弟の学費を稼ぐべく、新しい職場で仕事を覚えながら、その片手間で単発バイトをするダブルワーク生活がスタートしました。
仕事が休みの日はイベントバイトをしたり、厨房の食器洗いをしたり、食品工場で惣菜を作ったり、短日で入れるアルバイトを色々とやりました。
特に印象に残っているのは、仕事を21時で終え、その後バイト先の手配した夜行バスで新潟に向かい、朝の6:30から23:30までイベントの設営をした後、夜行バスで戻ってそのまま仕事に入った時です。当時はすぐにでもお金が必要で切羽詰まっていたため、現金手渡しだったことで大変助かったことを覚えています。
この頃は、自分と父がダブルワークをしており、父は借金の返済と日々仕事に行くためのお金を稼ぐために、週末は夜勤の工場に働きに出ていました。
父の裏切り
父の工場でのバイトは金曜の夜と土曜の夜でした。
しかし、ある時から週末は帰らなくなり、徐々に平日も帰ってこなくなるのでした。
不審には思っていたものの、母と頻繁にメールはしており、さすがにバカなことはしていないだろうとタカを括っていました。
ある日、自宅に1通の手紙が届きました。父宛の郵便物が自宅に転送されてきたのです。
郵便物の転送シールを剥がすと、見たこともないマンションの住所がそこには記載してあったのです。
後日、仕事終わりにその住所が記載しているところに向かいました。部屋の電気はついておらず、外で待ちました。すると、父が1人で歩いて帰ってきたのです。久しぶりに見た顔でした。部屋に入ったのを確認し、チャイムを鳴らします。インターホンから父の声が聞こえました。マンションから出てきた父と駅前のレストランに入り、話しました。
父は不倫をし、今はその女性と一緒に暮らしているというのでした。
両親の離婚と父の自己破産
母に話を伝え、両親は離婚に向けて話し合いの場を設けました。
ところが無事に話がまとまりかけた時、父はこちらに何も言わず離婚届を提出してしまいました。そして、再婚届まで出していたのでした。
あっという間の出来事でした。
父とは以来連絡が取れなくなり、家のローンや借金の返済をどうにかするために、母と2人で必死に働きました。
そうしているうちに、突如家に一本の電話が入りました。なんと父は自己破産を申請し、私たちは住む家すら奪われてしまうことになったのです。
引越し資金や稼いでも稼いでも借金の返済に回る日々は生活費を圧迫し、銀行カードローンへの借入やクレジットカードからのキャッシング、日々の生活費はリボ払いでどうにか生活していました。
裁判へ
この辛い日々をなんとかしようと、相手の女や父に対して、慰謝料の請求を行うことにしました。父のもとに行き、レストランで話していた内容を録音していたことで、相手の女との関係性や状況証拠となりました。裁判当日、お金のなかった私たちは、行政の弁護士を雇うことにしました。
一方、あちらはやり手法律事務所の弁護士でした。久しぶりに会った父の顔と相手の女の顔は忘れることができません。
裁判の中で、相手方は私の両親の夫婦関係の破綻と、女性は父親から離婚したと偽られていたと無罪を主張しました。論点が難しい裁判となりました。
払われないお金
結果、相手の女は慰謝料150万円の支払いを言い渡されました。
決め手となったのは、相手の女は、父との再婚前に結婚していたことがあり、離婚届が受理する前に数ヶ月にわたって他の男性と交際関係にあったことを指摘し、その倫理観の問題から本案件も被告人の主張に信憑性がないということでした。
しかし、自己破産申請を行った父に対して、慰謝料の請求はできませんでした。
そのため、父には一番下の妹の養育費の支払いを家庭裁判所で協議を行い、請求することにしました。
養育費は支払いの義務が生じるため、金額も確定しましたが、未だにそれらのお金は支払われていません。
どこまでも逃げ、きっと彼らは払わないでしょう。
どうして。どこから間違えてしまったのでしょうか。
今日も借りた借金の支払いのために働きます。