【実録】おまとめローン完済後ギャンブルの借金600万円が1,000万円に

【体験者のプロフィール】

  • 性別 : 男性
  • 職業 : 元会社員 現在無職
  • 年齢 : 50代
  • 借金 : 約1000万円
  • 対応方法 : 任意整理

堅実な学生時代

大学時代に借りていたアパートの近くにT競馬場とT競艇場があったことから、足しげく、ギャンブル場に通うようになりました。
それでも、消費者金融やクレジットのキャッシングには決して手を出さず、ギャンブルの軍資金はアルバイト代など手持ちの金で捻出していました。

ひと月に一度の割合で、全国の公営ギャンブル場をまわりながら、馬券や舟券を買う「旅打ち」という楽しみをもっていました。
旅費に加え、ギャンブルでも負ければ経費はかさみます。そんな浪費癖も災いとなり、生活はいつもアップアップ状態でした。

 

弁護士志望からプロギャンブラーの道へ

学生時代、弁護士を目指して司法試験の受験勉強に励んでいましたが、公営ギャンブルの虜になっていた私は、真剣にプロギャンブラーの道を模索するようになりました。受験をあきらめ、一般企業に就職したのも、軍資金を捻出するためです。

稼いだ給料を軍資金に、馬券、舟券、車券を買いあさる日々が始まりました。もちろん馬券などで稼ぐことも多々ありましたが、結局は負けることが多いのがギャンブルです。その行き着く先は「何とか取り戻したい」という焦りの心境です。

ある日突然のビギナーズラック

 今思えば、就職直後のビギナーズラックが悪夢の始まりでした。競馬の取材で手応えを感じた穴馬で大口勝負をしたところ、何と5000円が200万円以上になったのです。体の震えが止まりませんでした。

こうなると、同じ幸運を追い求めて、やめられなくなるのがギャンブルの怖さです。給料を使い果たしては途方に暮れる日々が続きました。そんなある日、最寄り駅周辺を歩いていると、駅前のサラ金ビルの看板が目に入りました。

初めての借金

 とにかく馬券、舟券、車券を買いたい。ギャンブル中毒にも似た症状が出ていた私は、当時頻繁にテレビCMが流れていた、ある消費者金融に入りました。申し込んだのは10万円でしたが、窓口の女性が50万円の限度額の借用書を満面笑みで持ってきたのを、今でも鮮明に覚えています。

最初は、店舗にあるATMで10万だけ引き出したのですが、ギャンブルで負けるたびに10万円、また10万円と引き出し、気が付けば、あっという間に限度額の50万円を使い果たしていました。自分でも知らないうちに50万円を溶かしていて驚きました。

雪だるま式に借金は1年で300万円に

 1カ月後、最寄り駅前にあった別の消費者金融へ行くと、あっさり50万円を借りることができました。数カ月後、また違う消費者金融で50万円を追加で借用しました。この頃には、まるで自分のお金であるかのような感覚で、サラ金からつまんだ現金をギャンブルにつき込んでいました。

半年後、4店目となるサラ金へ行くと、今度は限度額が30万円に減っていて、焦りました。5店目、6店目……と利用店舗を増やすにつれ、審査が厳しくなっていきました。借りられる額も20万、10万と減る一方で、最後に借りることができた某消費者金融は、こわもての男性の高圧的な対応に驚いたものです。

督促の電話が会社に

もうその頃には、会社内で、私宛に個人名の(在籍確認)電話が頻繁にかかってくるようになり、上司や同僚の不審そうな視線を強く感じるようになりました。

自転車操業

 1年で借金額が約300万円に膨らむと、毎月10数万が返済に消えるようになりました。毎月、決まった額を約束通りに返済しては、わずかな融資枠ぎりぎりまで、再び借金を繰り返す自転車操業の日々です。仕事の傍ら、会社に内緒でアルバイトに励む日もありましたが、返済してはまた借りるという悪循環が続き、金銭感覚はすっかり麻痺していきました。

一時はおまとめローンで完済したものの…

30代の半ばだったでしょうか。すべての借金を1本化しますという、某金融会社の「おまとめローン」を利用して、10社前後あったサラ金の債務を、すべて完済したこともありました。そのときは救われた気持ちになりましたが、結局は完済した消費者金融から、再び借金を繰り返すようになっていったのです。

借金600万円が1000万円に

気づけば、従来の10社前後の消費者金融の借金に、大口の「おまとめローン」の借金がそっくり上乗せされた格好になり、借金総額は600万円を超えていました。
その後も大口で貸すようになった銀行系ローンで借り換えなどしているうちに、住宅ローンとは別に、借金総額は1000万円近くまで膨らんでいました。

早朝パートに出る妻を見て任意整理を決意

年2回のボーナスなども活用し、その後も何とか、毎月の返済は続けていました。ブラックリストに乗りたくないという一心でしたが、毎月20万前後の返済は、扶養家族を抱える家計を直撃しました。

そんなある日、時給1000円弱で朝早くからパートに出ている嫁の姿を見て、ふと涙を流しました。「俺は何をやっているのだろうか……」。長く続いた悪循環の生活に終止符を打つ決意を固め、債務整理することを決意したのです。

1000万弱の元本が600万弱まで減った

インターネットで債務整理のサイトを徹底的に調べ、最もアットホームに感じた、ある司法書士事務所を選びました。
都内のJR線沿いある事務所を訪ねると、担当の司法書士が人間味のある方で、救われた気がしました。

司法書士さんとヒアリングをした結果、任意整理を勧められたので、そのまま手続きを進めてもらうことにしました。当時は任意整理のことは何もわからず、当初は不安でしたが、司法書士さんが丁寧に説明してくれたため、説明後は安心して任せることができました。

後日司法書士さんが各金融機関と粘り強く交渉してくれた結果、1000万円近くあった元本は600万弱まで大きく減りました。残債務もすべて無利息です。

計画的に返済

こうと決めれば、意思が固いのが私の長所と言えるでしょうか。毎月の返済を怠ることはなく、無利息の元本が確実に減っていくことに、喜びを感じるようになりました。

もし債務整理に頼らず、今も利息込みで1000万円近い債務の返済を続けていたら……。そう考えると、ぞっとします。1社、2社と借金が消えていき、最後は大口の某金融会社だけが残りましたが、それでも40代半ばから5年以上返済を続け、借金残高は100万円を切るところまで減りました。

最後の100万円は退職金で精算

 ただ、好事魔多しとはよく言ったもので、30年近い借金のストレスや日頃の不摂生がたたり、体調を大きく崩してしまいました。全身のしびれに、激しい疲労感と、とても仕事を続けることは厳しかったため、50歳を過ぎて勤務先を退社しました。

働き続ければ、残り100万円の借金もすぐになくなり、今度は夢の貯蓄生活に転換となるはずでしたが、人生うまくはいかないものです。それでも健康には変えられないと退社を決断しました。債務整理の最後の残債務100万円を退職金で精算することになるとは、夢にも思いませんでした。

第二の人生構築へ前を向く日々

30年近く勤めた会社を辞め、現在は健康回復を図りつつ、第二の人生の糧となる、新たな仕事を模索しています。

人生80年、90年時代です。家族のため、そして自分のため、少なくても、あと20年は元気で働きたい。そして、同じ働くなら、自分のペースでストレスなく、前を向いて長く続けられる仕事をしよう。そんな思いで、今は、つかの間の仕事探しの旅に出ている心境です。

まとめ

 長年の借金生活は、経済面だけでなく、ストレスにより健康も確実にむしばんでいくことを、身をもって体験しました。「借金生活は百害あって一利なし」。
今思えば、ブラックリストに載る、クレジットカードが作れなくなる、もう借金ができない、なんて悩みは、取るに足らないものだと痛感します。小さなプライドで健康を損なっては本末転倒です。

もし、私のように、50歳前後の年齢になっても借金生活を余儀なくされている方がいれば、ぜひ司法書士などの専門家に相談して、1日も早く、借金のストレスから抜け出し、健全な生活に戻られることを切に願っています。

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