【実録】車炎上!借金200万!従業員に言われてパチンコやめた社長

【体験者のプロフィール】

  • 性別 : 男
  • 職業 : 自営業
  • 年齢 : 25歳
  • 借金 : 約200万円
  • 対応方法 : 建設業を経営し完済

借金で90万の車を購入した

初めて借金は、18歳の頃どうしても欲しかった車を購入する際にできた借金でした。金額は90万円くらいの車でした。
私一人で自動車ローンは組めなかったので、公務員である父に保証人になってもらい購入しました。

この後この車が大事件を起こします。借金をした当時の私の職は建設業のアルバイトでした。
給料は月に18万円程度でローンの支払いが月に3万円程度だったので、支払いに困ることはありませんでした。

20歳でギャンブルにのめり込む毎日

支払いを続けて約20ヶ月20歳になった私は、当時のアルバイト先の友達とギャンブルにハマってしまい、毎日ギャンブルにのめり込むようになりました。1日約2〜3万円ほど使っていました。
ギャンブルでは勝つ時もありますが、負ける時の方が断然多く、アルバイトの給料が1週間で無くなることも多々ありました。その度に両親にお金を借りたり、アルバイト先の社長さんに前払いの対応をしてもらうなど、散々周りに迷惑をかけてきました。
そしてまた給料が入っていつものようにすぐお金がなくなり、お金を借りようと思っても、ギャンブルにのめり込んでしまった私に誰もお金を貸すことは無くなりました。

レイクの無人契約機で10万借りた

その時私がとった行動で人生が狂いました。
友人が消費者金融でお金を借りていることを知っていた私は、その友人にお金の借り方を聞きました。僕は次の日に迷うことなく消費者金融に借りに行きました。今の大手消費者金融は無人契約機でお金を借りられます。人と会うこともなく恥ずかしさというのもなく、機械に自分の情報を打ち込んで簡単にお金を手にできました。
最初に借りられた額は10万円ほどで『レイク』という消費者金融でした。10万円借りても月に返済する額は3000円でいいという条件に、バカな私は安易な考えでお金を借りてしまいました。

次々とリボ払いでお金を借りる

私がとった支払い方法はいわゆるリボ払いです。のちに体験したことですが、このリボ払いに私は苦しめられました。
10万円を手にした私が1番に向かった先は、パチンコ屋さんでした。私はここで一瞬にして10万円をなくしました。お金がなくなった私は、懲りずに違う消費者金融にお金を借りに行きました。次に向かった消費者金融は『プロミス』でした。プロミスでは30万円を借りることができました。月の返済額は8000円でした。

前回10万円を一瞬で無くしたことで懲りたので、一気にお金を使うことはせず、少しずつ使うようにしました。とはいえギャンブルなのですが…。しかしやはり負け、そのくせ欲しいものはすぐに買う生活を送っていました。

ギャンブルと借金を辞めようと決意

当たり前ですがお金はすぐになくなりました。お金もなく誰にもお金が借りられなくなって初めて間違っていることに気が付きました。
ギャンブルをやめるという約束で、両親にその月の支払い生活費を工面してもらって次の給料日まで持たせました。

借金をして私に残ったのは支払いと経験だけでした。そこからは真面目に借金の返済に努めました。当時の生活は毎日ギャンブルをしたい欲との戦いでした。私が住んでいるのは札幌で家の周辺には、パチンコ屋さんだらけで誘惑に打ち勝つのは大変でした。支払いをすると手元に残るお金は約90000円。当時一人暮らしをしていなかった私なら、生きていける金額でした。
しかし私はどうしても買い物だけはやめられず、毎月ギリギリの生活をしていました。

男気ジャンケン

ギャンブルを辞めた生活にも慣れてきた頃、友人に遊びに誘われて買い物に行くことになりました。当時流行っていた『男気ジャンケン』というゲームの話になりました。男気ジャンケンのルールというのは、ジャンケンに買った人間がお会計を支払うという単純なルールでした。そのゲームをその場のノリで始めることになりました。

最初はお菓子やタクシー代金など金額の安いものでゲ−ムをしていました。そのゲームのハラハラ感がたまらなく面白くなり、お会計の金額が徐々にエスカレートしていきました。食事では焼肉4人分や寿司4人分など、欲しいもの詰め放題など馬鹿げたこともやりました。1〜2万円のお会計が当たり前になっていき、どんどんエスカレートしていきました。そしてみんなお金がすぐになくなり、このゲームにも飽きてやめました。

辞めるはずの借金に再び手を出した

またしても支払いのお金や生活費がなくなった私は、両親にも会社にも相談することができず、消費者金融に上限の増額を相談しました。するとレイク、プロミスはすぐに増額に対応してくれました。

  • レイク借入30万円 … 月の返済額 8000円
  • プロミス借入50万円 … 月の返済額 13000円

合わせて40万円増額することができました。
その後は車の改造にハマってしまい、すごくお金がかかり20万円くらい注ぎ込みました。改造にハマって6ヶ月後くらいにびっくりする事件が起きました。

車が火災で全焼した事件

深夜12時頃友人と遊んで帰ってきて、寝る準備をして寝床に入った時外から<ドーン>という大きな爆発音がしました。近くで事故があったのかと思い、窓から道路見ても何もなく、気にはなったものの次の日も仕事で早かったので寝ることにしました。
すると寝ているときに電話がなりました。電話の相手はまさかの警察でした。

<警察>○○○さんですか?

<私>はい、そうですけど…。

<警察>あなたの車が燃えていますのですぐに来てください!

<私> え?

頭が真っ白になるのを初めて感じました。とにかく車のところまで行ってみると、なんと私の車が燃え尽きていました。周りには消防士さん刑事さんがたくさんきていました。
いろいろ事情聴取され監視カメラを見たところ、事件性がないことからすぐに帰っていきました。ヤ○ザの抗争かと思ったらしいです…笑

火災時の写真です。今だから笑って言えますが見事に燃え尽きましたww

巻き込んだ車の修理代が請求された

私の車はレッカー車に運ばれて、無くなっていました。その上両隣の車も火災に巻き込まれていました。保険には入っていましたが、火災と言うことで保険が効かず、私に修理代の請求が来ました。何百万請求が来るのかとずっと冷や冷やしていましたが、30万円くらいで済みました。これは不幸中の幸いだったと思います。

火災の原因は不明

原因をトヨタディーラーに調べてもらいましたが、結局原因不明でした。他にも火災事件の数ヶ月前にタイヤをはめている箇所が折れたりと、ありえないことが多々起きました。火災になった時に、車に乗っていたらと考えると恐ろしいです。

増えた月々の返済額

そんなこんなでさらに借金が増えてしまいました。被害者の方とは月に2万円ずつ返済すると言う約束で解決しました。合計で4万円月の返済額が増えました。
この頃の私はアルバイトで昇給していて、月に24万円ほど稼げるようになっていました。月に使えるお金は10万円ほど。この時私はこの返済、遊びのことで頭がいっぱいになっていました。

私はこの生活に満足しておらず、この先のことを本気で考えていました。

起業を決意

『このままではダメだ、何かしなければ』

思いたったらすぐ行動派の私はアルバイトの経験を生かし、自分で起業してみようと言う考えに至りました。
しかしすぐに会社を辞めて起業するのは危険すぎるし、また周りの人に迷惑をかけてしまうと思った私は、準備期間を設けました。
まずは従業員、車、資金が必要だと考え、従業員を友達の中から探しました。そして車を友人に個人分割で安く譲ってもらうことにしました。

借金が全然減らない?!リボ払いの罠

資金はもう少し会社に残ってお金を貯めることにしました。借金はあといくらあるのか気になり確認したところ、爆発した車のローンは着実に減っていましたが、消費者金融の返済額が全然減っていませんでした。
それが『リボ払い』の罠でした。
返済期間が伸びれば伸びるほど返済額が大きくなっていくため月に最低額を返済しても全然借金が減らないのが現状でした。

このままでは一向に借金が減らないと思った私は、今よりももっと稼がなきゃいけないと言う方向に向かっていきました。
その時は弁護士さんに話を聞いてもらうなどの方法が思いつかず、もっと稼ぐ!と言う方向に向かっていきました。

起業したもののお金が足りない!

それから1年後今まで通り低金額を返済し続けて、全然返済額も減らないままの状態でした。しかし私はアルバイト先でなんとか40万円を貯めました。そこからアルバイトを辞めて起業しました。少しコネがあったので頼み込み、そこから仕事を貰えることになりました。仕事先からお金が入るのは、作業した翌月に入ってくることになっていました。

仕事に行く時のガソリン代や従業員の日払いを、40万円の中から払っていきました。1ヶ月くらいでお金はなくなりました。次のお金が入るまでの、あと15日分のお金が足りなくなりました。このままではと思い方法を考えました。

消費者金融で借りたお金で乗り切る

消費者金融では返済した額分もう1度引き出せることを思い出し、消費者金融に走りました。返済額が合計で20万円ほどだったので、もう1度20万円を引き出しました。それから20万円を使い、また仕事をすることができました。
本気で仕事をこなし、なんとかその月を乗り切り、取引先からお金が振り込まれました。

初月の売上は120万円ほどで、従業員の給料が60万円ほど。その他経費で10万円。残った利益が約45万円ほどでした。
当時つけた支払いと受け入れを記載したメモ帳です。

ギャンブル癖の再発

その後安定して50万円ほどを毎月稼ぐようになり、支払いもなんとかできるようになりました。そのままその生活を続けていればよかったのですが、当時の馬鹿な私はそうはいきませんでした。

仕事を従業員に任せてパチンコ通い

『毎月50万くらい稼げるしスロットいきたいなー』

私は従業員に仕事を任せてパチンコ屋さんに行くことが増えました。あれだけやめると誓ったギャンブルなのにお金に少し余裕ができると『まぁ少しくらい』『勝つ時もあるし大丈夫』『今回が最後だ』などと、甘い誘惑に意志の弱い私はまたギャンブルに手を出してしましました。
従業員が頑張ってくれていることも考えずに…。

しかしギャンブルを続けていても
従業員が頑張ってくれていたのでお金に困ることはありませんでした。

仕事は仲間内でやっていたので、私がスロットにハマっていることを従業員は知っていました。その従業員も過去にギャンブルにハマっていて、ギャンブルの怖さは十分知っている友人でした。

従業員に言われて目が覚めた

その従業員にキッパリとはっきりとこう言われました。

『お前のギャンブル代稼ぐために俺らは働いているわけじゃない。もっと俺らのこと考えて』

こう言われました。その場では俺が出資して始めた商売なんだから、口出すなよ。と思っていしまいました。その夜言われたことが頭から離れずずっと考えていました。考えていくと、どれだけ自分が馬鹿なことをしたかがはっきりと見えていきました。
できたばかりの会社で大変な時期に、その友人に任せきりにしたことです。新人の面倒を見てもらうこと、クライアントとの打ち合わせなど全てが任せきりでした。
自分がやってきたことを思い返すとどれだけ馬鹿で、恥ずかしいことしたんだと胸が苦しくなったのを覚えています。

次の日私は友人に『ごめんな。苦労かけた』といい、ギャンブルをする生活が終わりました。今思えばその友人にはっきり言ってもらえなかったら
ただのギャンブル中毒者で終わっていたかもしれません。

新しい事業に手を出し始めた

それからは支払いをして仕事を真面目にこなしました。たまに友人、従業員とお酒を飲む生活が続きました。そして借金も残り少なくなってきた頃『この会社をもっと大きくしていきたい』と思いました。

それから色々なことに手を出しました。

  • BAR
  • 便利屋さん
  • ブランドショップ

知識無く安易に手をだした

いずれもお金だけがかかり見事に全てが赤字でした。当時の私はなぜ失敗したかも気づかずに、取り憑かれいるかのように『新しいことをしたい』と思っていました。ネットで調べた情報だけを頼りに、簡単に始められそうだと思った仕事に、なんの知識もないままに手を出していきました。その結果、また借金をしてしまいました。

BAR

昔夜の商売で働いた経験があったので、なんとか毎月ギリギリ乗り切っていました。しかしテナント代を払うのが精一杯で、従業員が辞めてしまい、最終的に退去費用が赤字になる始末でした。今思えば従業員には悪いことしたなと思います。

便利屋

事務所を借りて、FAX、電話を繋いだのはいいのですが、肝心の集客の知識が全くないため、仕事が無い日が続きました。どうすべきか考えた結果は営業でした。しかしどこの企業も全く相手にはしてくれず、唯一相手にしてくれたのは不動産の入居前清掃でした。
しかし1件あたりにもらえる報酬は1万円ほどで、割りにあいませんでした。

  • 従業員の給料 時給1000円 × 6時間=6000円
  • ガソリン代1000円

利益は3000円。
働かずに利益が出るならそれでもいいかと思っていましたが、そうはいきませんでした。

全くの無知識で始めた商売だったため、ほぼ全ての物件がクレームで再清掃をすることになりました。そんな会社にクライアントも仕事を振ってくることもなくなりました。

ブランドショップ

この商売が1番の赤字になりました。当時私はブランドものがすごく好きで、好きなもので仕事がしたいと言う安易な理由で始めました。最初はブランド品をオークションで落札して、テナントで販売していました。
集客のためにテナントの外に張り紙をしたり、自社ホームページなどを作成したりなどしていました。

最初は路面店ということもあり、お客さんは結構入りました。しかし全く売れず商品の原価も高かったため、売れないと仕事が継続ができない状況になりました。
経費も8割くらいがなくなり、これ以上続けると本業の建設業も継続できなくなるまでになりました。しかし私はどうしても諦められず、継続させていていました。しかし全てが他のショップより劣っているため、集客もうまくいかなくなり、商品が売れることもなく経費の底がつきました。

プロミスとレイクで上限いっぱいまで借りた

そして私はまた借金をしてしまいました。『プ○ミス』『レ○ク』でまた上限いっぱいまで借りました。

それから新しいことを始めるのがトラウマになってしまい、建設業だけに力を入れて借金を返済することにしました。
私はここまでの経験で色々なことを学びました。

リボ払いの怖さ

私が体験したリボ払いの怖さについて説明します。
後でわかったことですが、リボ払いは『元金』『手数料』両方に利子がかかります。そのため少ない額を毎月返していても、全然借金が減らない仕組みになっていました。
私は『プ○ミス』で50万円を借りたときの内訳はこのようなものでした。

  • 月に13000円ずつ返済
  • 元金の返済 7700円
  • 利子 5300円程


ほぼ半分が利子に回っていました。かといって、月に大きい額を返すのは厳しいですよね。頑張っても全然借金が減らない生活は、とても辛かったです。

最後に

ここまでの失敗してきた生活を経て色々なことを学びました。

  • ギャンブルは自分の身を滅ぼす
  • 従業員のことを1番に考える
  • 借金はできるだけしない
  • 借金したとしてもリボ払いは避ける。
  • 自分の都合で人に迷惑をかけない
  • どんな商売も知識がないと通用しない

私はあれから建設業だけを全力で取り組み、借金を完済しました。
もうお金を借りることはないと思います。
当時もっと早く弁護士さんに相談していれば、一人で抱え込むこともなかったと思うと後悔しています。
色々なことで身内、従業員に散々迷惑をかけてきたので、これからは親孝行と恩返しに努めます。

私に言われたくないと思いますが借金をする際はしっかりと計画的に考えた方がいいです。一時的なつなぎにはなりますが確実に後悔します。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
私の体験談がお役に立てれば幸いです。

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